「運動は贅沢だった」
──まずは、今年1月の日本記録更新の瞬間から教えてください。
飯田徳子(以下同) 正直にいえば、記録を狙っていたわけじゃないんです。私は次の試技で52.5kgに挑戦し、つぶれてもいいと思っていたくらい。ところが、たまたま福田先生(練習拠点「B.T.S.L FITNESS」の代表)がいらっしゃって、「50.5kgで日本記録だよ」と言ってくれた。それで50.5kgにしたんです。この歳でまだやれるんだと、うれしかったですけど、記録が出てもそれほど興奮したわけではないんですよね。
──落ち着いた受け止め方ですね。そもそも、飯田さんにとって「体を動かすこと」は小さい頃から身近なものだったんですか?
それが、子どもの頃はまったく逆だったんです。小学校3年生ときが終戦でした。岩手の山村で、子どもも立派な労働力の中、燃料や食料を探しに山に行く毎日でした。8人兄妹の4番目でしたから、親に頼ってはいられないわけですよ。
そんな状況だったから、運動は贅沢だった。余計な体力を使うくらいなら労働をしなければならない。だから今こうしてスポーツができることが、本当に豊かだと感じます。これを当たり前だとは思っていないです。
──「運動は贅沢だった」という感覚が原点にあるんですね。そんな人生の中で、本格的に運動と出会ったのは50歳になってからだったという。
小学校の教員をしていまして、退職まであと10年だと気づいたときに、老後に病院の待合室でお茶を飲むような生活はしたくないと思ったんです。
ちょうどその頃、職場の若い女性教員にマラソンに誘われて、「やったことないけどやってみよう」と。最初は8kmのレースでした。ゴールしたら周りがみんな涼しい顔をしているのに、自分だけぐったりで。これは何かコツがあるはずだと本を読んだり雑誌で勉強したりして、だんだん距離を延ばしていくことになりました。
──そこから20年近くもマラソンを続けられたとか。その理由は何だったのでしょう。
大変だと思ったことがないんですよ。走ること自体が楽しいんだから。ゴールしたときの爽快感、達成感。あの気持ちがいいっていう感覚がまた欲しくて走っていたんだと思います。
大会に出るのも、誰かに勝ちたいとか、記録を出したいとかじゃない。大会は続けるための起爆剤なんです。力試しというか。でもそれより大きいのはね、「こんな楽しいことができる自分は幸せだな」っていう気持ち。私いつもそう思うんです。今思えば、それはやっぱり、子どもの頃にスポーツが贅沢だった時代を知っているからかもしれないですね。













