「これからまた音楽やるよ。兄貴のギター、使わせてもらうね」
もちろん、昭次にも不安がなかったわけではない。
ソロ活動時代を経験し、音楽で食べていく難しさは痛いほど身にしみている。これだけのブランクがあって、いきなり音楽だけで生活できるほど甘くないのは百も承知だった。
谷川も、「最初から音楽だけで生活するのは難しいでしょうね」と率直に指摘し、ある提案をしてくれた。
「リズメディアは飲食店の経営もしている。その厨房に立ち、料理の仕事をしながら音楽活動を少しずつ再開するというのはどうでしょう?」
昭次は、飛び出した“料理”というフレーズに戸惑う。それでも、昭次の決心は揺らぐことはなかった。
改めて、母の説得を試みようとしたが、母もまた心を決めていた。
「最終的に決めるのは昭次、あなた。昭次が自分で決めたことならば、あなたのことを信用してるし、信頼もしてる」
昭次の母は再び独居が始まるのだと覚悟した。ただ昔から「将来、子どもの世話には絶対ならない。ひとりで自立して生きていく」というのが信念だった。そのために備えもしてきた。
「昭次が本当にやりたいことを見つけたのなら、親の私が抑え込むことなどできない。もし私が反対して無理やりにでも上京を止め、いつか昭次が後悔したら、それこそ取り返しがつかない。そんなことになれば、私自身が悔やんでも悔やみきれない。あとは本人に任せよう」
快く息子の新たな旅立ちを見送ろうとした時だった。昭次が言った。
「お母さんを名古屋にひとり置いてはいけない。何かあったら心配だから。一緒に行こう」
昭次はすでに計画を立てていた。上京後、リズメディアの社員寮で生活し、なるべく早く部屋を借り、そこに母を迎えともに暮らすことを。
母の脳裏に、ひとりでお泊まりできず、泣きながら足元にしがみついた幼き日の昭次の姿が浮かび上がった。
「この子は大きくなっても絶対に私から離れられないだろうな」
あの日の予感は外れてはいなかった。ただ、離れられないのは甘えからではなく、昭次の優しさからだった。
昭次は兄の墓前に誓う。
「これからまた音楽やるよ。兄貴のギター、使わせてもらうね」
成田昭次、52歳。
再びの上京。
オレンジのグレッチとともに――。
構成/水野光博 写真/井村邦章












