そして戦争が生まれた

もう一点、これは認知革命とも関連するのだろうが、ヒトには「記憶」がある。そして私たちは言葉を持っている。

だから私たちは、他の類人猿と違って、「かつて、この村で、こんなに大きなマンモスが捕れた」と伝えることもできる。そしてここにも伝え方の優劣があり、さらには当然、盛って話す人間も出てくるだろう。ただ「伝える」のが文化ならば、「盛って話す」のは芸術の領域だ。ここら辺に人類における芸術、とりわけ演劇の起源があると私は考えてきた。

要するに山極氏が考える「共感革命」からハラリ氏が指摘する「認知革命」へ進む間に、もう一つ、この「伝達革命」があったのではないかということだ。

他にも、芸術の起源としてよく言われるのが宗教儀式、特に弔いの儀式が様式化したという点だ。この「弔う」という行為もヒト特有のもので、ネアンデルタール人の遺骨の周辺から献花を思わせる花粉の化石が発見されたという事例も報告されている。

やがてそこに認知革命が起こり、「死」という概念が共有されていく。死後の世界を想像し、またそれについて語ったり、描いたりする行為が始まる。

この認知革命は、さらに大きな共同体の成立を促す。そして共同体を束ねるには、より大きな虚構が必要となる。祭祀は共同体を形成する重要な要素になっていった。芸能はさらに洗練されていく。

ニワトリが先か卵が先かはわからない。ただおそらく個体の進化と同様に、原始から古代においては、強い虚構を信じることのできた集団だけが生き延びたのだろう。

そして戦争が生まれた。

山極氏の著作に戻ると、人類が戦争を始めたのは1万2000年ほど前。人類の約700万年の歴史からすれば、きわめて新しい営みだ。氏はその理由を「共感力の暴発」と名づけている。

共感力はやがて、世界を内と外に分け、自分が属する集団の仲間を思いやるがゆえに、逆に外には敵を作る。

狩猟時代なら人々は移動によって棲み分けを行うことができたが、農耕牧畜によって定住が必要となり、土地への執着が集団性を加速する。山極氏は以下のようにも記す。

「人類は共感力の方向性を誤ったがゆえに、闘争と暴力が支配する社会を助長している」

「長い狩猟採集生活を通じて人間の生存確率を高めるために必要だった共感力が、言葉の登場と定住化によって方向性を変えて力を増し、文明の発達とともに所有権を争う暴力となって噴出し始めたのではないか」

著者の平田オリザさん
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山極氏は資本主義社会の限界を脱却するには「共同体の虚構をつくり直す」必要があると主張する。私は「共同体の虚構をつくり直す」ためには、芸術文化の役割も再定義する必要があると考えている。

祭りの神輿のような強い紐帯から、個別の芸術活動がそれぞれの個をつなぐ、そういった緩やかなネットワーク社会へ日本社会を編み変えていく必要がある。虚構への共感によって共同体の力を強め他者を排除するのではなく、逆に芸術の力で他者への想像力を育む営みが必要だ。

文/平田オリザ

寂しさへの処方箋 芸術は社会的孤立を救うか
平田 オリザ
寂しさへの処方箋 芸術は社会的孤立を救うか
2026年2月16日発売
1,056円(税込)
新書判/256ページ
ISBN: 978-4-08-721401-7
今、日本は他国とは違う独特の「寂しさ」「いらつき」「不安」に覆われている。終わりの見えない不況、アジア唯一の先進国からの転落と国力の衰退、そして戦前と同じく、産業構造の変革にともなう「精神(マインド)の構造改革」に再び失敗していること…などがその背景にある。
著者は2001年刊行の『芸術立国論』で「日本再生のカギは芸術文化立国をめざすところにある!」と提案した。
本書はその試みを現代に合わせてさらに進化させ、モノが飽和しコトの消費が求められる時代に芸術と観光が果たせる役割、社会的孤立を救うための文化による社会包摂の動き、教育や地方が実現可能な少子化対策など、日本の衰退をくい止める新しい処方箋を再提案する。
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