社会的孤立

失業した方への世間の目も、まだまだ厳しい。面接を受けるのも、やがては外に出ることさえいやになってきてしまう。

いま、日本社会が抱える大きな問題の一つが中高年のひきこもり、そして孤独死、孤立死だ。

孤独死、孤立死は、もちろん本人にとっても不幸だが、社会全体にとっても大きなリスクとコスト負担になる。時間が経って発見された場合、その部屋の臭いはひどいだろうし周りの人のショックも大きいに違いない。

当該の部屋はいわゆる事故物件として扱われ、同じアパートの人々もやがて引っ越して行ってしまうかもしれない。そうなると勝ち組であるはずの不動産所有者にとっても個人では負いきれないようなリスクとコストになる。

だから私たちは考え方を変えていかなければならない。

失業した方が映画館や劇場に来てくれたら、「失業しているのに映画を観に来てくれてありがとう。芝居を観に来てくれてありがとう。社会とつながっていてくれてありがとう」と言える社会を作らなければならない。その方が社会にとってもリスクやコストが軽減されるからだ。

こういった考え方を社会包摂、とりわけ「文化による社会包摂」と呼ぶ。人間を孤立させない政策だ。

日本は長く地縁血縁型の社会だった。しかしそれは戦後の都市化、工業化によって急速に崩れていく。これに取って代わったのが企業社会だった。人々は社宅に住み、社員旅行を楽しみ、社内運動会に参加し、企業年金に守られて生きていくと信じていた。中小企業も一つの家に喩えられ、経営者と従業員は運命共同体のように成長した。

しかし1990年代以降、グローバル化が進む中で、企業は労働者を守る必要がなくなってしまった。

低賃金の労働力を求めて工場の海外移転が進み、国内では非正規雇用が増加する。

ふと振り返ると、地縁血縁型の社会もすでにない。これが一時流行語にもなった「無縁社会」の正体だ。しかも日本は最後のセーフティネットである宗教も弱い国なので、人間がきわめて孤立しやすい。

欧州のホームレスはいよいよ危ないとなったら教会に駆け込むのだが、日本の神社仏閣にその機能は弱い。日本は世界の先進国の中でも、もっとも人間が孤立しやすい社会となっている。

写真はイメージです (写真/Shutterstock)
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厳密には、こういった状況を単なる「孤立」「孤独」と区別して「社会的孤立」と呼ぶ。孤立や孤独はそれ単体では悪いことだとも限らない。人間には孤独に耐えて生きていく力も必要だろう。

「社会的孤立」とは物理的な孤立や孤独のことだけではなく、家族や社会とのつながりがまったくなくなってしまった状態、薄くなってしまった状態を言う。いま、これが深刻な問題となっている。

先に示したように、社会的孤立は個人の問題にとどまらず、社会全体にとっても大きなリスクとコスト負担になる。だから私たちは、どうにかして個々人を社会につなぎとめておかなければならない。これは人道や道徳だけの問題ではなく、社会全体にとって、あるいは経済にとっても避けて通れない課題なのだ。