何かが崩れていく

何かが崩れていっている。あるいは、何かのたがが外れてしまったと、一定数の方々が感じているのではないだろうか。

その「何か」とは、民主主義そのものかもしれないし、それを支える選挙制度かもしれない。いやもっと深い、日本社会そのものが抱える問題と捉える人もいるだろう。

そしてここで言う「たが」とは、狭義では、「公人は、それだけは言ってはいけない」「心の底で思っていても口に出しては言わない」、そういう暗黙の了解のようなもの。

広義に捉えるならば、もう少し薄気味悪い、無意識の憎悪の蓋が開けられてしまったような感覚。

2024年7月の東京都知事選挙。掲示板のポスターの掲載権を売買するといった従来の選挙制度が想定していない事態が相次いで起こった。続く2024年11月の兵庫県知事選では「二馬力選挙」という、これも公職選挙法の盲点をつくような問題が浮上した。

また都知事選以上にフェイクニュースがさまざまに流れ、従来の「公正な報道」を墨守したテレビ・新聞は「オールドメディア」と揶揄されて、その影響力が低下していく。

あけて2025年6月の東京都議会議員選挙では、選挙演説中の罵り合いや、選挙活動に名を借りたヘイトスピーチが常態化し始める。そして7月の参議院議員通常選挙。排外主義を隠さない勢力が台頭し、多くの偽情報が人々を翻弄した。

排外主義を露骨に押し出す参政党 (写真/Shutterstock)
排外主義を露骨に押し出す参政党 (写真/Shutterstock)
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「民主主義の危機」と言われるものは戦後幾たびもあったし、2024年から25年夏にかけての一連の選挙騒動も、一過性のものだと考えることもできるだろう。私もそう思いたい。

いまは過激な参政党であっても、日本維新の会がそうであったように、公的な政党活動をしていく上では角が取れ、やがてマイルドになっていくのかもしれないし、そうならなければ、いずれ飽きられるのだろう。これもそうあって欲しいと願う。

そもそもこういった「たが」の外れ方は、2016年の一度目のトランプ現象から始まったとも言える。あるいは安倍政権こそが、このたがを外してしまった元凶だと考える人もいるだろう。どこまで遡ればいいのかはわからない。実は私自身、5年ほど前に「ミニトランプ選挙」のようなものに巻き込まれた経験もある。

だが、私がいま問題にしたいのは、どうもこの、日本で起こっている一連の出来事の特徴が、トランプ現象のような過熱ではなく、欧州で起こっている排外主義のような過激さでもない点だ。

「日本人ファースト」と言っても、日本人はまだ外国人に職を奪われてはいない。

いま私が住んでいる兵庫県北などでは、これから多くの外国の方に働きに来ていただかないと、産業も福祉も成り立たないことは目に見えている。インバウンド観光は、すでに日本の外貨獲得の命綱だ。いったい何が不満なのか? いったい何に「日本人」はいらついているのか?

「格差」が原因だと多くの有識者は言う。その分析や書籍も多く出ているし、それらの研究、検証の一つひとつは切実で、ほぼ正しい。だがしかし参政党や日本保守党の支持者たち、あるいは安倍晋三氏を支えた岩盤支持層にしても、それは最貧困層と直接重なってはいない。

よく知られるように、かつてヘイトスピーチを行ってきたのも正規雇用の中間層が多かった。

いま起こっているのは、おそらく、何かへのプロテスト(抵抗)ではない。だから「格差を声高に叫んでも、その声は届けたいところには届かない。

では、原因はなんだろう。