食料・医療・教育の拠点を散らした明治政府

内田 資源の地方分散を市場が望まない以上、政治の力でやるしかありません。かつて明治政府はやったでしょう。僕が評価するのは教育と医療の拠点を全国に展開したことです。帝大は九つありますけれど、東京、京都、東北、九州、京城、台北、大阪、名古屋の順に設立されました。帝国の津々浦々に高等教育機関を作るという意図は明確です。

旧制高校もそうです。一高が東京、二高が仙台、三高が京都、四高が金沢、五高が熊本で、六高が岡山、七高が鹿児島、八高が名古屋。東京の次は戊辰戦争の奥羽越列藩同盟の本拠地仙台です。西南戦争の反乱軍の拠点である鹿児島にも作られた。ここには強い政治的意図を僕は感じます。日本を近代国家にするためには、全国に教育拠点を作って、国家須要の人材を育成することが絶対に必要だから、もう「敵だ味方だ」ということにはこだわらない。そういう覚悟です。

帝国大学には医学部が設置されましたから、そこが医学研究と先端医療の拠点になる。つまり、帝大を作ると同時に先端医療拠点を全国に分散させた。

もちろんその時代は日本中が農業をやっていたわけですから、明治政府は食料・教育・医療という国の根幹にかかわる三つについては「自給自足を達成する」と「全国に資源を分散する」ということについては明確な哲学を持っていてやっていたわけです。僕はこの哲学は評価します。

もはや「田舎に帰って農業する」は成り立たない? 地方経済の崩壊と下がり続ける食料自給率。人口減少より深刻な東京への一極集中問題とは?_3

青木 戦後だと田中角栄などは典型的ですが、高度経済成長によって得られた果実を、ある意味で利権誘導して自らの懐にも一部入れつつ、しかし地方に再配分する政策をとってはいたわけですよね。

内田 田中角栄の「日本列島改造論」は明治政府のやり方を踏襲したものだと思います。経済活動の拠点を日本中に散らしていくというアイデアそのものは資本主義市場経済の要請ではない。田中角栄は地方にリソースを離散していっても、それが経済成長につながるという「アクロバット」的なことを実現してみせた。その点では偉大な人だったと思います。今、田中角栄と同じように「地方に資源を分散させることで、経済活動を活性化する」というアイデアを語ってくれる政治家はいませんから。