前回は出生率が大幅低下……60年ぶりの丙午はどうなる?

丙午は十二支の午年と十干の丙年が重なる60年に1度の年。午は馬、丙は火や太陽を意味し、“火の馬”という情熱的で力強いイメージを想起させる。

ひるがえって、今よりもさらに男尊女卑であった時代には、女性にとってマイナスにはたらくイメージもあった。馬と火はともに“陽”の性質を持つとされており、これが巡り巡って「この年に生まれた女性は気性が荒い」「夫の運気を食い尽くしてしまう」「男を不幸にする」などの“迷信”が誕生してしまったのだ。

写真はイメージです(写真/Shutterstockより)
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この迷信を広める最大のきっかけになったといわれるのが、丙午に生まれたとされる青果店の娘・お七が、恋人に会う目的で放火事件を起こして死罪になるストーリーの『八百屋お七』だ。江戸前期、井原西鶴が『好色五人女』にてこの話を書いたところ、丙午の女性に対する偏見が一気に定着したと言われている。

いわば迷信なのだが、世の女性への影響は大きく、1927年3月7日の読売新聞では「縁談に破れ 丙午女死す」と痛ましい自死の報道が記事になっている。そして1966年には、かの有名な「丙午ショック」と呼ばれる出生数の急落が発生。

丙午の年だけ出生数が落ち込んでいる人口ピラミッド(写真/総務省統計局より)
丙午の年だけ出生数が落ち込んでいる人口ピラミッド(写真/総務省統計局より)

高度経済成長で右肩上がりに子どもが増える中、“丙午の女性”を産まないようにと出産を控える夫婦が相次ぎ、出生率は当時最悪の1.58、出生数は前年比約25%減の約136万人を記録した。

これは、前年1965年の出生数が約182万人、翌1967年が約194万人という数字からも、明らかに“そこだけ下がっている”ことが分かる。エビデンス重視が叫ばれる現代からは馬鹿げた話だが、当時の人々は丙午の迷信を大マジメに信じていたのだ。

前後に比べて著しく数が少ないうえ、生まれた時から迷信を背負わされるなど、さまざまな面で独特といえる丙午世代。いったいどのような特徴を持つのか、数が少ないゆえの“あるある”などはあるのだろうか。

前回の丙午である1966年に生まれた、元読売テレビアナウンサーで京都産業大学現代社会学部教授の脇浜紀子氏に実体験を尋ねた。