「民主主義は必死になって守るもの」ミャンマーの現実が日本社会に問いかけること
――ミャンマーの現実を目の当たりにして、今の日本社会についてはどのように感じますか。
ミャンマーの場合は、軍政が対話も交渉もできない相手だったというのが前提にあります。非暴力不服従運動に全く反応せず、力で弾圧してきた。その上での戦争です。
でも今、日本は自ら民主主義を手放し、異論を排し、軍国主義化の道を進もうとしている。そんな風に見えることがあります。
民主主義はすごくコストがかかりますが、私は民主主義がなくなるとはどういうことかを体験したので、ただ民主主義の恵みを享受するのではなく、絶対に失わないように必死になって守らなければいけないと思うようになりました。
以前、ミャンマーの民主活動家に、日本人に伝えたいことがあるか、聞いたことがあるんです。彼はこう言っていました。「あなたたちは、生まれた時から当たり前のように人権や民主主義を手にしていた。でもそれは、あなたたちより前の世代がそれを獲得するために必死で努力してきたからなのです。今度はあなたたちの番です。今、手にしているものを、次世代のために、必ず守り抜いてください」
――最後に、今のミャンマーのために、日本にいる私たちができることは何でしょうか。
ミャンマーで起きていることは、内戦ではありますが、その背後には中国やロシアがいますし、難民の問題は国際社会と地続きです。もはや、ミャンマーだけの問題ではないという認識を持ちたいと思っています。
では具体的に何をするのか。以前、東日本大震災の被災地で一年間の活動を終え、離れることになった時、被災者の方に「私たちのこと忘れないでね」と言われました。もちろん忘れることはないけれど、現地を離れる自分に、今後何ができるのだろう、と悩んだ時、その方はこう言ってくれたんです。
「復興までの道のりが42.195kmのマラソンだとしたら、走り切るのは自分たちだ。でも走っている途中で、もうダメだ、と思うほど辛くなったとき、沿道から声援が聞こえれば、もう一歩踏み出せる。だからどうか忘れずに、応援していてほしい」と。
ミャンマーも同じで、民主化までの道のりを走るのはミャンマー人です。私たちにできるのは、沿道から声援を送ること。
その声援は、寄付かもしれないし、SNSでミャンマーのことを取り上げることかもしれない。あるいは日本政府への意見表明かもしれません。「忘れていないよ、応援しているよ」と示し続けること。それが、遠く離れた地で戦う人々の力になると信じています。
取材・文/集英社オンライン編集部














