「女たちを殺した国軍兵士を忘れない」

初めて会ったときから、ヌール(仮名、当時23)は他のロヒンギャとは違っていた。

5年前の2017年8月末、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャに対して国軍が苛烈な武力弾圧を行った。数ヵ月にも及んだその迫害は、当時日本のメディアでも大きく報道されたが、最近は取り上げられる機会も少なくなった。

ヌールはこの弾圧の生存者のひとりだ。私たちは性暴力の被害者とその取材者という立場で出会い、いまに至るまで交流を続けている。

ミャンマー国軍兵士から性的暴行を受けた妻と夫の5年間_1
化粧をするヌール。2017年の8月末、ラカイン州北部の彼女の村をミャンマー国軍が襲った。あれから5年たったいまも、ヌールはバングラデシュの難民キャンプで避難生活を送る。2018年12月撮影

ことの発端は、ロヒンギャの武装組織「ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)」が、ラカイン州北部の警察関連の約30施設を同時多発的に襲撃したことだった。事件後、国軍は「ARSAの掃討作戦」を名目に、即座にロヒンギャの暮らす村々に侵攻。老若男女を問わず、罪のない市民を無差別に殺し、女性たちを組織的にレイプした。さらに家財道具や金品を略奪し、家屋に火を放って村を焼き払った。

このときの死者は約1万~2万5000人と言われており、70万人以上が隣国バングラデシュ南東部のコックスバザールに設営された難民キャンプに逃れた。米政府はこの弾圧を今年3月に「ジェノサイド(集団殺害)と人道に対する罪」と認定している。

私は2018年1月に初めてバングラデシュのキャンプを訪れてから、現在まで取材を続ける。ヌールと初めて会ったのは2018年6月、2回目のキャンプ訪問時だ。性暴力の被害者女性の取材をしていた私は、知り合いのロヒンギャのつてをたどって彼女に話を聞くことができた。

キャンプにあるヌールの家は、竹とビニールシートで作られた簡素なもので、「小屋」という表現のほうがしっくりくる。濃紫色のヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭部を覆い隠すためのスカーフ)の隙間から彼女の暗い視線を感じ、何とか少しでも話しやすい雰囲気にしたいと思案したが、結局答えは出ないままに通訳に促されて取材を始めた。