20歳で中国に出征、「夜間の潜伏戦攻が一番嫌だった」
石井誠一さんは1922(大正11)年に東京・神田で3人兄弟の長男として生まれた。同年に生まれた著名人には、漫画家の水木しげる氏や小説家の瀬戸内寂聴氏などが名を連ねるが、「戦争によって青春時代を潰され、戦地では最前線に送られた」という意味で、たびたび“不運な世代”として呼ばれることも多く、『大正十一年生まれ』という書籍も出版されるほど第二次世界大戦の激動期を生きた象徴的な世代だ。
石井さんも、戦争によって青春時代を潰された一人だった。
幼少期から「自転車をいじるのが大好きだった」という石井さんは、高等小学校を1年で中退し、13歳のときに自転車修理の道に飛び込んだ。住み込みで働きながら順調に技術を習得していったが、その2年後には日中戦争が勃発した。
第二次世界大戦が激化した1943(昭和18)年、20歳で中国に出征。敵軍の補給路を断つべく、夜間に激しい銃撃戦を繰り広げたこともあった。
「夜間の潜伏戦攻が一番嫌だった。『敵が通る』という情報が入ったら先回りして、スコップで穴を掘って土の中に身を屈めたり、山陰に潜んで待つんだよ。敵が通ると、手りゅう弾を投げて攻撃したりもしたもんだ。
銃を撃つと光るから、その光を元にお互い激しい銃撃戦にもなった。やはり訓練と実戦は全く違ったね。余裕なんてこれっぽっちもなかったよ」(石井さん、以下同)
重症を負った中国兵に出くわし、上官の命令の下、とどめを刺したこともあった。
「相手がすでに虫の息でね。私はまだ初年兵だったこともあって、上官から『石井、苦しんでるから楽にしてやれ』って言われたんだ。だから、あおむけに倒れている相手にまたがり、心臓めがけて銃剣の先を上から突き刺したことがある。そしたら、ずぶっと鈍い音がしてね…」
80年以上前の記憶だが、20歳の石井さんにとっては生涯忘れられない記憶として今でも脳にこびりついている。
「“度胸試し”と称して、捕虜を初年兵に殺させるみたいな訓練もあった。それでも上官の命令は絶対なんだ。それは天皇陛下の命令でもある。だからどんな理不尽な目にあっても、上官には逆らえないし、言い訳がきかない。それが軍隊ってもんだ」















