国連はなぜ破綻したのか

内田 200ほどの国民国家が基礎的な政治単位であって、それぞれが自国益を最大化するためにパワーゲームをしているというのがこれまでの標準的な世界理解だったと思います。だから、国民国家の上に「公共という審級」があれば、そこが理非の裁定を下すから、国際紛争は防げる。理屈ではそうなります。事実、そうやって近代市民社会は成立したわけですから。

「万人の万人に対する争い」のうちに巻き込まれると、誰一人安定的に自己利益を確保できない。だから、人間が本当に利己的にふるまうなら、「公共」を立ち上げるはずだというのが『リヴァイアサン』の理路でした。

「公共」を立ち上げて、そこにみんなが私権の一部、私有財産の一部を供託する。メンバー同士の争いでは、公共が理非の裁定を下し、仮に非とされた人がそれを受け入れなかった場合には実力をもってこれを抑制する。それが近代市民社会の基本的なスキームだったわけです。

だから、国際社会にそれをスケールアップしてみたのが国際連盟や国際連合の考え方だったわけです。でも、近代市民社会のモデルを国際社会に適用することに人類は失敗した。国民国家においては「政府」や「国家」が公共的に機能したのですけれども、国際社会における「国連」は「世界政府」としては機能しなかった。それはなぜか。

国連というのは近代市民社会における国家モデルをスケールアップしただけですから、理屈はみんなわかるはずなんです。でも、うまくいかなかった。ということは、近代市民社会というアイディアにはそれほどの普遍性がなかったということになります。

ロックやルソーやホッブスが言ったことは、国民国家レベルには適用できるが、国際社会には適用できないのではないか。でも、それに代わる「新しい公共」のアイディアはどこからも提出されてこない。そんな敗北感や不全感を何となくみんなが感じている。

国際社会の様々な紛争、現在のガザであったりウクライナで起きているようなことを効果的に抑止できる国際機関があれば本当にいいのだけれど、そういう仕組みを誰も思いつけないでいる。

李さんのような若い人は、国連という文字列を見ても「ユニセフ」とか「ユネスコ」とかいうような友愛組織だと受け止めるんじゃないかと思います。

だから、国連総会決議といっても「まあ、実効性のないきれいごとだよね」くらいの受け止め方だと思うんです。でも、僕が子どもの頃、60年代だと、「国連」という二文字を見ると、ちょっとワクワクするというか、すばらしい機関があるなあと仰ぎ見るという感じでした。ニューヨークの国際連合のビルがあるじゃないですか。あそこに各国の国旗が並んで立っている風景を映画の画面で見るたびに、「国連のおかげで戦争が無くなるかもしれないなあ」という淡い期待がありました。

 僕、実はアメリカのコロンビア大学で研究員をしている時に、ニューヨークの国連に行ったことがありまして。あそこって看板の表示が英語とフランス語で、僕もまだ何も知らない状態だったので、「国連って結局、西洋文明の機関なんだ」って結構驚きました。

国連はなぜ破綻したのか? ガザやウクライナで起きていることを抑止できる機関は世界に存在しない…「どうやって世界的な平和をつくっていくか?」_5

内田 国連ってもともとは枢軸国と戦ったthe Allies(連合軍)のことですからね。それがUnited Nations と呼称が変わったわけですけれども、第二次大戦の戦勝国がつくった機関ですから、ドイツ語や日本語は公用語に入れてもらえなかったんじゃないですかね。ロシア語や中国語の表記はありました?

 なかったです。英語とフランス語だけ。同時通訳のチャンネルはたくさんあって、ロシア語も中国語もありました。日本語はなかったですけど。

内田 日本語ないんですか? かつて国際連盟のときは常任理事国だったのに、ずいぶん落ちぶれましたね。

 僕がいたのは「人権研究所」という所で、世界各国から一人ずつ研究員を集めて、各地の紛争とか平和促進について研究する機関でした。他国の人たちは自分の国の言葉で聞けるのに、僕だけ英語で悲しかったです。

話を戻すと、「どうやって世界的な平和をつくっていくか?」という問いに対して、これだという答えは言えないんですけど、近代市民社会との延長線上で考えた場合、少なくとも平和って「みんなが仲よくしている状況ではない」と思うんです。意見が合わなかったり、気に入らないんだけど、「ここら辺で妥協しておこう」という。

内田 そうですね。落としどころを見つける。全員が同程度に不満な解に落とすことだと思います。「誰かが大いに満足して、誰かがきわめて不満である」という結果をもたらしても、それは平和とは言えない。「成熟した民主主義」においては、選挙が終わった後に全員が不満な顔している(笑)。それはみんなが同程度に不満なところを選挙民が選んだということですからね。