日本のデジタル庁は何をしたいのか?
内田 李さんのご著書『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』は、今のテクノロジーと思想の状況についての実にていねいなマップですよね。マッピングってとても大事な仕事なんです。でも、自分の意見をあまり入れないで、「こういうテクノロジーにはこういうメリットがあって、こういうリスクがある」ということを中立的な視点から書く人ってあんまりいないんです。ですから、「こういう書き方をする人は信用できそうだな」と思いました。何かのプロパガンダではないなということがわかりました。
このところずっと、「新しい封建制」とか、テックジャイアントの話とか、その手の本が知り合いの編集者から送られているので、僕もそこそこ勉強しています。ピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』(共著、NHK出版)とヤニス・バルファキスの『テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。』(集英社)を読んでテクノロジーのネガティブな面は大体わかったかなという感じでしたけど。
李 テクノロジーの問題意識は世界的に共有されていて、どちらかというと「ディストピアにまっしぐら」な印象を受けるのですが、オードリー・タンさん(元台湾デジタル発展省大臣)を象徴的な存在として、Plurality(プルラリティ)は「そうではないテクノロジーの在り方」を提示しています。台湾をはじめとして、国のサイズとしてはコンパクトなところから、デジタル民主主義の実例が出てきています。
内田 国民国家という政治単位を基礎にしては、この問題に取り組むことはちょっと難しいと思います。テックジャイアントたちは中規模の国家予算ぐらいの個人資産を持っている。その人たちの恣意で国家事業に匹敵できる程度の政策が実現できてしまうという状況ですから、本当に「封建制」「専制」に近い状況だと思います。
トランプ政権のイーロン・マスクの暴走を見ていると、彼は「俺個人の意思で世界を変えることができる」くらいの全能感を持っているんだろうなと感じます。
ピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』を読んだ時も、なんでこの人はこんなに偉そうなんだろうと思いました。でも、仕方がないですよね。相手はスタンフォードの学生たちで、自分は実際に事業で大成功した人間なわけですから、物言いが断定的にもなりますよね。
李 現在はイーロン・マスクのようなテクノクラシーや、ピーター・ティールのようなリバタリアンが、テックジャイアントとしてアメリカという強大な国家の中枢に入り込んでしまっている状況です。
内田 これから後、テックジャイアントの人たちは、国民国家の元首と同じぐらいのステータスで国際会議などに登場してくることになると思います。国民国家という政治単位がこの問題に関しては有効でなくなっているから。EUぐらいのスケールの政治単位でないとテクノロジー問題には対処できないという気がします。日本なんか、単体では何にもできませんからね。デジタル庁でしたっけ。あの人たち、どれぐらいきちんとした知識を持っていらっしゃるんですかね?
李 デジタル庁的な組織を作ること自体は、世界的な潮流に乗ってはいます。ただ、「デジタル庁に全部任せよう。専門家だから委ねたら何とかなるだろう」という雰囲気に国民の気持ちが固まっていくと、うまくいかないと思います。
今回の本でも書きましたけど、テクノロジーをいかに草の根の「ボトムアップの活動」に活用していくかが大事なのであって、それをトップダウンで一部の専門家が牛耳るのは、本末転倒といいますか。
内田 何よりも「このテクノロジーで何をしたいのか」という宏大なヴィジョンが提示されてないことが問題だと思うんです。どうも自民党政府のやることを見ていると、中国のやっている国民監視システムの劣化バージョンを作ろうとしているくらいのことしか感じない。国民全員に大きな利便を提供し、日本のシステムをバージョンアップするというような野心がまったく感じられない。