引退発表から新監督就任…高倉健さんと初詣にのぞむ姿も
その後、プロ野球選手として打点王や新人王、最優秀選手など、さまざまな栄光の歴史を綴った長嶋さんは、1974年10月14日の中日戦が行なわれた後楽園球場(現・東京ドーム)で17年間の選手生活に終止符を打ち、引退を発表。
1974年10月27日号には、今も語り継がれる名言「わが巨人軍は永久に不滅です」とセレモニーで挨拶し、蛍の光のメロディーが流れる中、感極まってファンに初めての涙を見せた姿を捉えた写真も掲載された。
その後、休む間もなく同年11月21日には後楽園球場で記者会見が行われ、巨人軍の川上哲治監督の退任と長嶋新監督の就任が正式に発表された。
1975年1月19日号では、かねて交流のあった高倉健さんとともに、成田山で除夜の鐘を聞きながら初詣をする姿をキャッチ。高倉さんと長嶋さんの付き合いは深く、この時の初詣もなんと「10回目」だと報じられていた。
そこには、監督として初めて新年を迎える長嶋さんと、芸能生活20周年という節目を迎える高倉さんがそれぞれ新年に祈る姿があった。
また、1975年2月9日号では永久欠番となった背番号「3」ではなく、新監督として「90」を背負い、多摩川キャンプで選手らに指導する姿と、袴姿で「必勝」と書道する長嶋さんを捉えた。
これは監督就任の記者会見で長嶋さんが第一に口にした「クリーン・ベースボール」を、“誠実な野球”を通してファンにお返ししたいという思いを筆に託した力強いものだった。
ところ変わってキャンプ地密着レポートでは、長嶋新監督の姿や当時入団したばかりの定岡正二選手らを一目見ようと、約1万人ものファンが詰めかけた。
長嶋監督が自ら選手たちを指導するさまは、「長所を伸ばし障害を除く」ために誠心誠意込めて野球に打ち込む姿そのものだった。