「空振り」と「見逃し」。リスクを伝えることの難しさ
荒木 長谷川さんの新著『天気予報はなぜ当たるようになったのか』にはご自身の経験に基づくエピソードが、おそらくは意図的に取り入れられていますよね。

長谷川 それは担当編集者の方に、「そうしたほうが本として起伏が出ますよ」とアドバイスしていただいたんです。その、「起伏が出る」という表現に感心して取り入れてみました(笑)。
荒木 そういう工夫もさることながら、しっかりAIに関する最新の知見までフォローされていて、お世辞抜きに良書だと感じました。反響が楽しみです。
長谷川 ありがとうございます。AI予報については、かつて気象庁で気象研究所長を務めた方で、いまは東大で「ClimCORE」という、過去の気象データと先端技術による日本域の再解析を手掛けている隈くま健一さんから最初に教えていただきました。
隈さんもやはりAIには関心を持っていて、その影響で私もちょこちょこ調べるようになったんです。
荒木 なるほど。また、『天気予報はなぜ当たるようになったのか』の中で私がとりわけ印象的だったのが、「オオカミ少年を防ぐ」という視点でした。予報を外す「空振り」と、予報を出しそびれる「見逃し」は、どちらかを減らそうとするともう片方が増える、トレードオフの関係にあるというくだりですね。
長谷川 どのくらいのリスクに達したら警報を出すかという、基準の設定の問題ですよね。見逃しが多いからといって基準を低くして空振りが増えると、人々はわれわれの注意喚起に耳を傾けてくれなくなってしまいます。
荒木 これは非常に根深い問題だと感じていて、例えば「線状降水帯」の予測情報が出ると、メディアはけっこうそれを取り上げてくれるじゃないですか。結果的に線状降水帯が発生せず、空振りで終わったとしても、雨量が多ければ災害は起こります。そこが怖いところです。
長谷川 その通りだと思います。また、防災気象情報の専門家に言わせれば、線状降水帯というのは一種のパワーワードなのだそうで、なまじ反応がいいので多用されるようです。しかし、使いすぎて人々が慣れてしまうと良くない側面もあります。
荒木 こうしたバランスの取り方は本当に難しいですよね。メディアの意向とも、うまく歩調を合わせていけるといいのですが。
長谷川 気象庁では2022年から線状降水帯によるリスクを半日くらい前から呼びかけるようになり、2023年には「顕著な大雨に関する気象情報」(線状降水帯の発生をお知らせする情報)をこれまでより最大30分程度、前倒しして発表する運用を開始しました。
そして4年後の2029年には、市町村単位で危険度がわかるよう、予測をマップで提供する計画を立てています。その後については、これら一連の取り組みを振り返り、どうしていくのかを詳細に検討することになると思います。そこでメディアの方の視点、さらに実際に避難を検討した住民の皆さんの視点なども織り交ぜて、次の一手を考えられれば理想的ですよね。
荒木 そうですね。私も線状降水帯関係の研究に携わっているので、その難しさはよく理解しています。いまの最新のモデルでも、うまくいくときもあれば、まったくうまくいかないときもある。本当に計画通りに進んでいくのか、不安なところもあります。
長谷川 そうなんですよね。そもそもどこまで予測できるものなのかという問題もありそうです。ある程度は可能だと思うんです。が、いつどこで線状降水帯が発生するという、ピンポイントの予測が果たしてできるものなのか。
それとも、確率的に弾き出すしかないものなのか。そのあたりも見極めていかなければならないでしょう。いずれにせよ、2028年度に打ち上げが予定されている、次の気象衛星「ひまわり10号」では、かなり詳細な観測が実現するはずで、それによる精度向上に期待しています。