神道の世界を仮想現実に?
ワイル 今、台湾やインドなどで起きているデジタル民主主義の実態として、テクノロジーが今ある制度を全て「消し去る」とか「無くす」のではなくて、逆に私たちは、現状の制度の上で「機械やテクノロジーを活用したい」という立場です。
日本が近代化を果たした際に実践したように、私たちが持つ最も深い価値観を表現し、長年抱いてきたがこれまで実現できなかった目標を達成するための手段としてテクノロジーを活用することです。
たとえば大昔からの文化として、日本には神道がありますね。神道には「万物に魂が宿っている」という考え方があります。そうした中でテクノロジーが万物の声を聞かせることができたらすばらしいのではないか、というアイディアなんです。
昨日スタジオジブリを訪れたのですが、そこにある多くの作品は、そのアイディアを表現したものですよね? あれはアニメですが、川であるとか、森であるとかの、自然が秘めている「声」を、たとえばですが、AIや新たなデジタル技術を使って聞かせることができたら、それは本当にすばらしい世界ではないでしょうか。
AIの大きな目標の一つは、コンピュータがすべてを代行するということではなく、森が語り、川が語りかけるような世界を実現することだと私は思います。
別の例を挙げると、カトリック教会で新しい教皇が選出され、彼は教皇レオ14世の名前を名乗りました。教皇レオ14世は『Rerum Novarum』という素晴らしい回勅(かいちょく)を発表しました。
この回勅は、主に「補完性(subsidiarity)」と「多極共存主義(consociationalism)」と呼ばれる概念について扱っていました。
つまり、権限を地方に委譲し、人々は単なる個々人としてではなく、所属するグループを通じて代表されるべきだという考えです。
一方で、都市には多様な仕事があり、会社があり、教会もあり、いろいろな団体があります。
本当に複雑なネットワークで出来ている世界なので、コンピュータなしには、様々なものを結びつけることはもはや不可能でしょう。コンピュータを活用することで、カトリックの社会思想が求める深い願いを実現することができるのです。
それがPluralityの本質です。それは、これらの文化や思想を消し去り個人主義やコンピュータのような他の思考様式で置き換えるのではなく、それらを尊重し、テクノロジーを用いて複雑さに対処することです。
李 ありがとうございます。たしかに本の中でも、たとえば気候変動に対処するために「木の気持ちになってみる」という、没入型共有現実(ISR)のプロジェクト(Treeプロジェクト)がありましたね。あなたが今おっしゃった「自然の声を聞かせる」というアイディアも、神道という日本の伝統的な考え方に合致するものだと思います。
ワイル ありがとうございます。TreeというISRのプロダクトがありますけれども、それは仮想現実(VR)だけでも、拡張現実(AR)だけでも、複合現実(MR)だけでもなく、それらを統合させた没入型の体験を通して、本当に木の気持ちになるということです。
ISRの技術の進歩は目まぐるしく、自然と話をする、自然の気持ちになる。それから、さらに一歩進んで自然と交渉するというような考え方も出てきています。
また「万物に魂が宿る」という神道の考え方は、アメリカの絵本作家であるドクター・スースの本(李補足:2012年、『ロラックスおじさんと秘密の種』というタイトルでアニメ映画化され公開)の中にも、木と話をする、または木を代弁するようなキャラクターとして出てきます。
そういった小さなところにも多元的な文化、日本とアメリカの文化を超えた共通点があると思っています。