「オナニーはダメ」と教えるのが当然の教育
『オナニスム』やルソーの著作はヨーロッパ中に広がり、オナニー害悪論もヨーロッパ中に広がった。100年ほど時代をくだって1865年、イギリスでトップクラスの知名度を誇った医師ウィリアム・アクトンは『生殖器の機能と疾患』の中で、やはりオナニーの害について散々書いている。主張自体は「オナニーのせいで悲惨な健康状態になるよ」という害悪論ド真ん中なのだが、おもしろいのはこの部分だ。
学校の先生も、自分たちの生徒がそんなこと(オナニー)をするはずがないと思っている。
しかし、それはとても危険なことだという事実を子供たちにわかりやすく教えてやる必要がある。
前掲書(カッコ内は筆者)
学校の先生は「オナニーはダメだよ」と生徒に教える必要があるらしい。しかもこれが大ウケしたようで、学校の先生からは「そうだそうだ!」「オナニーの危険性をどんどん教えよう!」と賛同の手紙がいっぱい来たらしい。
どうだろう。そろそろ僕の言いたいことが見えてきたのではないだろうか。
19世紀の半ばまで、「オナニーはダメ」と教えるのが、当然の教育だったのだ。
大人たちは子どもにオナニーをさせないように夢中になり、様々な対策を講じた。夜中まで子どもを見張るのもそうだし、貞操帯を着用させるのもそうだ。現代においては貞操帯はSMプレイに使われるエッチなアイテムという認識だが、当時は切実に青少年の健康を守るために使われていた。エッチな意味ではなく、健全に射精管理が行なわれていたのである。
しかし、さらに70年が経つと、時代は変わり始める。オナニー害悪論は徐々に駆逐されていき、オナニーは正常なものとみなされるようになる。そこに大きな貢献を果たしたのが、ヴィルヘルム・ライヒだ。彼は1932年に『青年の性的闘争』の中で、「青年がオナニーするのは割と良いことだよ」と主張している。
我々はこう総括していうべきである。成熟期におけるオナニーは、今日、資本主義において与えられている性生活の諸条件のもとでは、青年にとっての最良の方策である。(同前)
そういうワケで、「学校でオナニーの害を教えろ!」に比べてだいぶ現代の価値観に近づいた気がする。隔世の感がある。
かくして、ようやくオナニーが世界に受け入れられ始めた。これがわずか100年前のことだというのだから、価値観の変化は本当に疾風怒濤だ。
オナニー害悪論からの脱却はたった100年前に起きたムーブメントだから、まだアップデートしきれてない人も普通に見受けられる。具体的には『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の碇シンジくんがそうだ。彼が昏睡状態の少女の裸を見ながらオナニーをしてしまった後に「最低だ、俺って」と強い罪悪感に苛まれるシーンはネットミーム化しており、ここだけ見たことがある人も多かろう。
シンジくんはオナニー後に罪悪感に苛まれるのだけれど、これは価値観がアップデートされておらず、「オナニーはダメ」と旧態依然とした知識を刷り込まれていたからだと思われる。シンジくんの行動についても、ライヒは指摘している。
彼らは、子どものころに支配下に入った性的抑圧によって、……罪悪感なしで、オナニーを受け入れることができなくなっている
同前(強調は筆者)
そういうことで、シンジくんもやはりこのパターンだったのだと思う。たしかに、彼は厳格な父親である碇ゲンドウの支配下に入っている。「シンジ、エヴァに乗れ」「シンジ、オナニーはするな」と叩き込まれてきたので、罪悪感を持ってしまったのだろう。