現役最強の二遊間コンビは?
7年は、仁志敏久、二岡智宏の巨人スター選手コンビ。長嶋茂雄(第二次)、原辰徳(第一次)、堀内恒夫と3代の監督をはさんで起用された。仁志が5歳の年長で、二岡は新人から仁志と二遊間コンビを組んだが、ともに打者としても貢献度が高かった。
6年の広島、二塁菊池涼介、遊撃田中広輔のコンビも印象的だ。この2人は同学年。菊池は二塁のレギュラーになった当初は守備範囲は広かったものの、2013年から3年連続で二けた失策と粗い二塁手だった。しかし田中と二遊間コンビを組んでからは、守備でも堅実さを増した。二人は打者としても、タナ・キク・マル(丸佳浩)トリオを組んで広島のリーグ三連覇に貢献した。
5年は8例あるが、阪神(大阪)の名遊撃手、吉田義男が先輩の白坂長栄、後輩の鎌田実と相棒を変えて2回出てくるのが面白い。吉田は藤村富美男など阪神草創期の選手から、ドラフトで入団した藤田平の時代まで活躍した息の長い名手。
2000本安打は打っていないが監督としても1985年に優勝していて殿堂入りしている。二塁手が誰に代わってもショートは「牛若丸」吉田だったのだ。吉田は2025年2月に惜しまれつつ91歳で物故したが、その名人ぶりが数字でもわかる。
ロッテの山崎裕之は大型遊撃手として期待されたが安定感に欠き、打撃も今一つだった。しかし1969年に二塁手にコンバートされてからは守備も打撃も安定した。ダイヤモンドグラブ賞を3回受賞し、打者としても2000本安打。
さらに「隠し球の名手」でもあった。飯塚はロッテに入団後一時広島にトレードされたが、73年にロッテに復帰して山崎と二遊間を組んだ。俊足でも知られたが、規定打席には一度も達していない。攻守に主力選手だった山崎と「専守防衛」飯塚の渋いコンビだった。
篠塚利夫、河埜和正の二遊間は、第一次長嶋茂雄監督時代の最後の年にコンビを組んで、藤田元司監督の時代まで続いた。安打製造機篠塚と、ベテランの域に達した河埜のコンビは安定感があった。
現役ではもう一組、西武の源田壮亮、外崎修汰のコンビが2024年で5年目を迎えた。残念ながら2024年の西武は早々にペナントレースから離脱したが、この2人は沈滞ムードのチームを好守で必死に引っ張っていた。
本拠地ベルーナドームで大敗した後、遊撃の守備位置でしばらく動けない源田の姿を見たが、再起を期すライオンズをけん引するのも源田、外崎のコンビになるのだろう。
文/広尾晃 サムネイル写真/共同通信社