世界に冠たる王貞治の868本塁打
イチローがMLBに挑戦して以降、日本では、日米の記録を合算したり、そのまま比較したりすることが多くなった。歴史も試合数も異なる別のリーグをそのまま比較することに、筆者は抵抗感があるが、王貞治の868本塁打がMLBの通算本塁打記録であるバリー・ボンズの762本塁打を100本以上オーバーしているのは事実だ。
今、記録の発掘が進むニグロ・リーグでは、ジョシュ・ギブソンが1000本以上の本塁打を打ったとされるが、その数字が確定するまでは「世界一」と言ってよい。
MLB、NPB通算本塁打5傑
日米で700本塁打以上は5人になる。
MLBの現役ではヤンキースのジャンカルロ・スタントンの429本が最多、NPBは西武、中村剛也の478本だから、当分このランキングが変わることはなさそうだ。
なお、アーロンは従来通称の「ハンク」が使われていたが、近年、正式名の「ヘンリー」を使うのが一般的になっている。
NPB通算本塁打5傑
21世紀デビューの選手では前述の中村剛也の478本が1位だ。
王貞治の868本塁打が見上げるような大記録であるのは「シーズン当たりの本塁打数」を割り出せばわかる。王貞治は1959年から80年まで22シーズンプレーしたが、これで868を割ると1年あたり39.45本になる。王貞治は高卒1年目から40歳で引退するまで、毎年40本近く打ち続けたことになる。気が遠くなるような数字だ。
2023年には巨人の岡本和真が41本塁打、2022年にはヤクルトの村上宗隆が56本塁打を打ったが、岡本の年平均本塁打は23・3本(233本/10年)、村上は32・0本(224本/7年)であり、このペースには到底及ばない。
しかも王貞治の時代は130試合制、今の143試合制より10%も試合が少なかった。
NPBの通算本塁打数上位5選手と現役最多の中村剛也の通算出場数、1試合当たりの本塁打数を出してみよう。この数字からわかるのは、王貞治の1試合当たりの本塁打数が他の選手と比べても群を抜いて高いこと。
だから試合数が少なくてもここまで本塁打数を積み上げることができたのだ。しかも王は1959年にデビューしてから3年間は、投手から一塁手に転向して日が浅かったこともあり、粗っぽい二線級の打者だった。当時、王が打席に立つと「王、王、三振王」と声がかかったと言う。
よく知られているように荒川博打撃コーチとマンツーマンで特訓し一本足打法を身に付けた1962年以降、見違えるような大打者になったのだ。
王の1959〜61年と62年以降の本塁打数を示す(※は1試合当たりの本塁打数)。
1959〜61 37本/351試合※0.105
1962〜80 831本/2480試合※0.335
端的に言えば1962年、一本足打法になった王貞治は2度目のデビューをしたと言っても良い。