家と車と家具を売り払ったことになぜ怒らなかったのか
カナダに着くと、わたしはイーロンと一緒に受け入れてくれる大学を探すために5つの州の大学をまわった。モントリオール大学以外は、どこも受け入れを表明してくれた。モントリオールで研究するには、わたしのフランス語では難しいようだった。
わたしはトロント大学に関心を持った。研究員として週に10時間働けばよく、それなら栄養士としての開業も、研究も、モデルの仕事もできるからだ。それに、トロントはカナダではモデル業の中心地だ。研究員になれば、子どもたちは学費なしで学べる。
それから、五大都市のすべてのモデル事務所を訪れた。40代初めだったので、どんな反応をされるかわからなかった。けれども、どの事務所も受け入れてくれた。年配のモデルを探していたのだ。
3週間後にヨハネスブルグへ戻ると、トスカはすでに家と家具と車を売り払っていた。身長177センチで15歳の少女は、自分がまだ子どもだということも、すべてを売る許可など得ていないこともまるで気にしていなかった。家のものはすべて消えていた。
あとはわたしがサインするだけ。数週間後、わたしたちは南アフリカを発った。キンバルは高校を卒業してから来ることになった。
トスカが家と車と家具を売り払ったことになぜ怒らなかったのかと、多くの人にきかれる。だって、トスカの言い分はもっともだったから。わたしたちはいずれカナダに移住しようと話し合っていた。トスカはできるだけ早くそれを実現したかっただけ。たとえ、予想もつかないことをしたとしても、その言い分がもっともなら受け入れるしかない。
カナダには新しい可能性があり、移住は家族にとってよい転機となった。わたしにとってヨハネスブルグでの生活は絶好調で幸せだったけれど、子どもたちはアメリカ大陸に未来を見出した。カナダでならスタートが切れる。
そしてもうひとつ言えるのは、20年来の地獄だった前夫のことをもう二度と恐れずにすむということだった。おびえることなく生きられるのは、なんとすばらしいことだろう。この移住が自分と家族にとってよいことかどうかわからなくても、いつだって戻れる。わたしはけっして戻らなかったけれど。
前進すべきときだと思うなら、賭けに出て、腰を落ち着けるために3年は懸命にがんばること。生活がよくならず幸せだと思えなかったら、もとの環境に戻ればいいのだから。
#3 に続く
文/メイ・マスク 写真/Shutterstock