道を妨げるものが道になる
リーダーシップの研究を進めるにあたり、私たちは「ひとつの質問」からはじめた。世界のリーダーたちに対して、こう尋ねたのだ。
「複雑で急速に変化する(一見手に負えない挑戦や、革新に対する飽くなき要求がはびこる)環境で、リーダーが成功するためにいまのやり方を変えるとしたら、どうするべきだと思いますか?」
インタビューで出た答えはこれだ。「リーダーがいまより勇敢になって、勇気ある文化を育むこと」
では、なぜ「勇敢なリーダーシップ」が必要なのか、その具体的な「理由」の追究に乗りだしたとき、この調査は重大な危機に陥った。その答えはひとつではなく、50近くもあったうえに、多くが勇気とは無関係に見えたからだ。
上級幹部たちは、さまざまな観点から語った。「批判的思考」「情報の統合」「分析して信頼を構築する能力」「教育システムの再考」「刺激的な革新」「対立が深まるなかで共通の政治基盤を見つけること」「厳しい決定をくだすこと」「機械学習や人工知能という文脈で共感や関係性を構築することの重要性」……。
「スキル」ではなく「性格」?
私たちは質問をすることで、玉ねぎの皮をむきつづけた。「勇敢なリーダーシップの根幹となる〝具体的なスキル〟をあげてもらえますか?」
参加者の大半がこの質問に答えあぐねていたことに、私は驚いた。話を聞いたリーダーのうちおよそ半数弱が、はじめ、勇気を「スキル」ではなく、「性格」にかかわるものとして語っていたのだ。
特定のスキルに関する質問では、彼らはたいてい「もっているか、もっていないか」で答えた。私たちは興味深く彼らの態度を観察しつづけた。「もしそれをもっていたら、どんなふうに見えますか?」
勇気が「行動力」だと信じている人も含め、8割以上のリーダーは具体的なスキルを特定できなかった。それでも彼らは、問題のある行動や、信頼や勇気を損なう文化的規範については即座に、熱っぽく語ってみせた。
まずはそこをスタートにしたいと思う。幸いにも、私のおこなっている研究では「わかっていることからはじめる」というのが原則だ。進むべき道を理解するために、私はその10倍もの時間を「道を妨げるもの」のリサーチに費やしてきた。
たとえば、私はもともと「恥」を研究するつもりはなく、「つながり」と「共感」を理解したいと思っていた。しかし、恥が一瞬にしてつながりを台無しにするということを知らなければ、本当の意味でつながりは得られない。
また、「ヴァルネラビリティ」(傷つきやすさ、脆さ、脆弱性、不安な気持ちなど)を研究するつもりもなかったが、それはたまたま、私たちが人生で求める大半のものに対する大きな障壁となっており、とくに「勇気」を奮うことを妨げていた。