代表初の国際大会で指揮官に「天才」と言わしめた16歳プレーヤー

初招集以降、一度も代表候補からふるい落とされなかったどころか、鳥海は15年には12人の日本代表に選ばれ、翌16年のリオパラリンピックの予選となったアジアオセアニアチャンピオンシップ(AOC)に出場。初戦の1Q途中からコートに立った鳥海は、2Qにはミドルシュートで代表初得点を挙げた。それはシュートと言えばフリースローの確率を上げることを目標としていた1年前には鳥海自身も想像すらしていなかった成長の姿でもあった。

[2015年AOC] 16歳で代表デビュー。その後の躍進はここから始まった(写真:X-1)
[2015年AOC] 16歳で代表デビュー。その後の躍進はここから始まった(写真:X-1)

さらに鳥海のプレーには、その頃から華があった。「自分の持ち味はディフェンスで、パスカットを狙っていくところ」と語っていた通り、スティールして相手のボールを奪った鳥海は、そのままドリブルで上がり、レイアップシュート。その瞬間、スタンドから大歓声があがり、会場の千葉ポートアリーナのボルテージは一気に上がった。詰めかけた観客が、チーム最年少、唯一の10代だった若きプレーヤーに魅了されていた。

さらに及川HCが「戦力の一人」として見ていたことが最もわかる一戦となったのが、予選リーグ第2戦の韓国戦だった。ひと昔前まで韓国は日本にとって“格下”と言ってよかった。ところが、この前年の14年、世界選手権、アジアパラ競技大会とあわせて、日本は3連敗を喫し、簡単に勝てる相手ではなくなっていた。

この時のAOCでも互角の戦いとなり、3Qを終えた時点で38-40とわずかながらリードを許していた。すると最も大事な4Q、及川HCは鳥海をスタートで起用。この采配がピタリと的中した。相手が嫌がっていることが傍目からも感じられるほど、執拗なまでに強いプレッシャーをかけてくる鳥海のディフェンスに韓国は苦戦を強いられたのだ。

[2015年AOC] 当時最大の持ち味としていたディフェンスは、代表でも大きな戦力となった(写真:X-1)
[2015年AOC] 当時最大の持ち味としていたディフェンスは、代表でも大きな戦力となった(写真:X-1)

完全に流れをつかんだ日本は、逆転に成功。引き離す展開で55-48で勝利をおさめ、2年ぶりに韓国から白星を挙げた。この試合後、及川HCはこう鳥海を称えた。

「本当によくやってくれました。彼には言ったことをすぐ読み取って、ゲームの中で結果につなげてくれる才能がある。ほかのメンバーにも聞いたら『やりやすい』と言っていたので、じゃあ(4Qは)鳥海でいこうと。彼は純粋に天才だなと思います」

順当に予選を突破した日本は、準々決勝でマレーシアに圧勝。準決勝では当時アジアオセアニアゾーンでは頭一つ抜けた存在だったオーストラリアに完敗を喫したが、韓国との再戦となった3位決定戦は後半から完全に主導権を握り、80-56で快勝。3枠あったリオへの切符をつかみ取り、11大会連続となるパラリンピックへの出場を決めた。