車いすバスケにつなぎ留めた仲間の存在と大舞台
「車いすバスケはもういいかな……」。リオパラリンピック後、鳥海の気持ちはほとんど固まりつつあった。そんな彼の気持ちをつなぎとめた人物がいた。現在、神奈川VANGUARDSのチームメイトである古澤拓也だ。鳥海より学年は2つ上だが、中学時代からジュニアを対象とした合宿では寝食を共にするなど気心の知れた間柄で、リオパラリンピックまでの日本代表候補の合宿では唯一の同世代だった。そんな古澤を鳥海は“タクちゃん”と呼び、慕っていた。
その古澤とともに招集されたのが、男子U23日本代表の活動だった。リオの翌年の2017年1月にアジアオセアニア予選会が行われ、上位3チームが同年6月の男子U23世界選手権に出場することになっていた。当時U23日本代表の柱として期待を寄せられていたのが、リオパラリンピックに出場した鳥海、そして補欠選手に選ばれていた古澤の2人だった。
「連志、一緒に頑張ろう」古澤からの言葉に、鳥海はリオで失くしかけた車いすバスケへの情熱を再び取り戻していった。もともと好奇心旺盛な分、熱しやすく冷めやすい性格だという鳥海。そんな彼にとって車いすバスケは初めて飽きることなく夢中になって追い続けた世界だった。その車いすバスケとの縁は、やはりそう簡単に切れるものではなかったのだろう。初めての挫折だったリオの翌年に、U23世界選手権が控えていたのは、まさに運命と言えた。
「タクちゃんと一緒にU23で世界一を目指そうという状況がなかったとしたら、車いすバスケをそのまま辞めていてもおかしくはなかったと思います。競技人生における大きな分岐点だったなと。あの時タクちゃんという存在がいて、U23世界選手権という目標が、リオの後すぐにあったのは本当に大きかったです」
そして古澤もまた、同世代に鳥海という存在がいたことへの大きさを感じている。
「ジュニア時代から切磋琢磨してきた同世代の選手たちがいなければ、今の僕はなかったと思っています。なかでも大きな刺激を与えてくれたのが、連志の存在でした。15歳の連志が日本代表候補になった時には、“もう10代だからという言い訳はできない”と思いました。それにU23は僕の方が先にデビューしたなのに、いつの間にか連志の方が僕の前を歩くようになって、彼がリオに出場した時は同世代の活躍が嬉しかったのと同時に悔しさもこみあげてきました。それで気持ちにスイッチが入ったところはあったと思います。そんなふうにずっと車いすバスケでつながってきた連志とは、信頼できる仲間だと思っています」