ミスコンに参加した理由は「賞金の30万円」
大学祭などのイベントで実施され、女子学生の中から容姿などを基準に優れた者を選ぶ「ミス・コンテスト(ミスコン)」、「ミスキャンパス(ミスキャン)」。
そのどちらにも選ばれたのが、神谷明采さん(24歳)。色白で儚げな姿からは、清楚系のような印象を受けるが、今年1月、自身もかつて「六本木に通う“港区女子”でした…」という記事をFRIDAYデジタルで配信。そのギャップも相まって、炎上を引き起こした。
そもそも、彼女はなぜミスコンに出ようと思ったのだろうか。
「きっかけは浪人時代にさかのぼります。私は四人姉妹の次女で、姉や妹たちは私立の学校に通っていました。極端に貧しいわけではないですが、裕福なわけでもなかったんです。
当時は祖母からお小遣いを1ヶ月8000円もらいながら、毎日11時から22時まで予備校で勉強していました。1日にお弁当ひとつしか食べられず、すごくお腹が空いていて……。大学生になったらバイトをして、“絶対いい生活をしてやる!”と、決意したんです。
それで東大に合格したんですが、入学後に、ミス東大の賞金が30万円、ミスオブミスは100万円だと知り、最初は賞金目当てで出ることにしました」(神谷明采さん、以下同)
港区の飲み会で「お金の魔力に引き寄せられそうになった」
ミスコンで得たものは賞金だけではない。港区飲み会へ”顔要員”としての参加権も得たそうだ。
「外資系や大企業で働いているおじさんと話すことで、キャリアのプラスになるかも、という思惑で参加していました。『ねえ、あたしと付き合ってくれる~?』と猫なで声の女子を横目で見ながら、男性陣にメタバースやNFTについてガンガン質問したり、仕事の話を聞いたり(笑)。
おじさんたちの経済力に頼る港区女子たちには、衝撃を受けました。今までの人生で、ここまで他力本願な女性に出会ったことはなかったので。
でも、ご飯が終わる21時すぎに、おじさんとタクシーに乗って消えていく彼女たちを見て、ある意味これも才能だな、と関心したんです。私は媚びることができない性格なので、ご飯が終わるとすぐに帰っていました」
一時期、港区通いをしていた神谷さんには港区で別の学びもあった。金が物言う港区で逆にお金への執着を弱めるきっかけにもなったという。
「あるCMのお仕事が決まり、私にとっては高級なハイブランドのバッグを買いました。それを港区飲みに持っていったら、誰もその程度のものは持っていなくて。ヴィトンのカプシーヌやバーキンが、ゴロゴロいました。すると、不思議とあっちのほうがかわいく見えてくるんです。
容姿も同じで、美容整形をしたであろう彼女たちを見ていると、私も顎をもっとシュッとさせないと……、とか考えてしまう。でも、それにもお金がかかりますよね。お金の魔力に引き寄せられそうになるんです」
そんな神谷さんをとどまらせたのは、家族の存在だったという。姉妹たちと話しているうちに、ハイブランドや整形がどうでもよくなっていったそうだ。
「お金持ちには、なろうと思えばなれるかもしれない。でも、それって何のために生きているんだろう? と、気づいたんです。私には“家族”という最終的に帰る場所がありました。もし寄る方のない根無し草だったら、そのままお金の引力にやられてしまっていたかもしれません」