少年の夢としてのSF、美少女
吾妻ひでおは、分かりやすい話や流行便乗といった編集者の勧めに抗うようになり、メジャー少年週刊漫画誌の仕事は減っていった。一方、自分の好みを強く表に出したことで、吾妻作品はマニアから人気になり、マイナー雑誌からの依頼や注目度は高まっていく。
70年代後半から80年代初頭にかけては『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』などのアニメが子どもだけでなく大学生らにも人気となり、徳間書店の『アニメージュ』やみのり書房の『月刊OUT』といった雑誌が生まれていたが、その『月刊OUT』が1978年8月号で、吾妻ひでおに関する初の特集である「吾妻ひでおのメロウな世界」という特集記事を組んでいる。
そこで漫画評論家の阿島俊は、少年の夢をSFと美少女に集約し表現しきった漫画家として吾妻ひでおを捉え、〈美少女の魅力を摑んだ彼は、そういったものを表面に飾りながら、少年の夢を追っていた。
「スペースオペラ」や「ノヴァ」といったSF、「シッコモーロー博士」の恐怖ナンセンスは、本来の吾妻ひでおの魅力を十分に伝えており、少女の気まぐれと美しさをてこにした「みだれモコ」においては、初期作品の持っていた不条理空間――シュールリアリスム的空間を再度見せてくれた。〉などと語り、特集全体を通してSFと美少女という二つの特徴が強調された。
ただしここには、間もなく吾妻ひでおの代名詞ともなる「ロリコン」の語はまだ出てきていない。
ちなみに引用文中でいわれている初期作品とは、デビュー直後の「人類抹殺作戦㊙指令」(70)、「宇宙ラッシュ!」(同)、「ウェルカム宇宙人」(同)、「ラ・バンバ」(71)などを指しているだろう。
また同号のインタビューで〈好みの女性は……〉の問いに対して吾妻は〈岡崎友紀が「エイト・ビート」の頃で、そのあとが和田アキ子かな。何か全然関係なく好きになるから。で、今が林寛子で……。〉と答えており、必ずしも美少女だけを挙げてはいない。ここでのポイントは〝元気な女の子〞だ。
それが『奇想天外臨時増刊号 吾妻ひでお大全集』(81)では様相が一変している。テーマ別に五部に分かれたインタビューの最後は「ロリータ編」で、いきなりインタビュアーの〈吾妻さんに関して、最近よく言われるのは、〝ロリコンの帝王〞ということなんですけど……〉で始まっている。
この間に何があったのか――は吾妻ひでおだけでなく、オタク文化全体の発生に関わる問題である。