誰にも助けを求められない原因となったイジメ
もともと繊細で感受性の強い瀧本さんは、次第に脳裏にお墓の映像が繰り返し浮かぶようになる。半年後には予備校にも行けなくなったという。
「将来、お墓に入るために生きていくのならば、大学に入っても意味がないとか、おばあちゃんの言うように努力が一瞬で消えるならば、一生懸命、夢に向かうことが虚しく思えてきて。
いや、そんなはずはない。人生にはきっと意味があるはずだ、これは試練だと言い聞かせていたんですけれども、先祖がいて自分がいるわけだから、おばあちゃんを否定することは、結局、自分の存在を否定することにつながるのかなとか、いろいろ考えてしまって」
祖母にとっては娘である、自分の母親には相談しなかったのかと聞くと、瀧本さんは少し考えて、こう答える。
「踏み込んだ話はなんか言えなかったですね。両親は優秀なのに、僕に何か問題があるから今の事態を招いているのかなと、考えてしまって。父には幼少期から『若いうちの苦労は買ってでもしろ。とにかく我慢しなさい』と言われ続けましたし。
それと、僕は幼いころからイジメられていて、誰かに頼ったり言い返したりすると、かえって大変になるという経験をしているので、おばあちゃんのことを誰かに話して助けを求めるという発想が、そもそもなかったです」
最初にイジメられたのは幼稚園のときだ。後ろの子につねられたりしていたが、それに気付いた先生が注意すると、もっと陰湿になったのだという。
小学生になるとピアノが弾けることで、イジメの対象になった。瀧本さんは3歳からピアノを習い、小4のときには先生に「本気で音大を目指してみない?」と勧められたほどだったという。
女子からは「男のくせに何で私より弾けるの?」と悪口を言われ、男子からは「ピアノなんて女々しい」とからかわれた。
そのときも、反論するとひどくなるので、じっと耐えていたそうだ。
「ピアノを弾けることを極力隠していました。地元から離れて名古屋の高校に進学して初めて、ピアノを弾けることを肯定的に受け止めてもらい、交友関係が急に広がったんです。
僕が東京に来て予備校に行けなくなったとき、名古屋の同級生も心配してくれたけれども、夢に向かって生きている人たちに祖母のことは言えなかったですね」