最大の社会貢献はひきこもること
センター試験の前日、祖母にこう言われた。
「あんたに殺されるかと思った」
体中が震え、立っていられなかった。結局、受験に失敗し、実家に戻ることになり、別れ際にもう一度言われた。
「あんたに殺されるかと思った」
当時の様子を瀧本さんは「自分でも解除できない時限爆弾を抱えている感じ」と表現する。
「最後のころは包丁を見るのが怖かったですね。だから、本当に凶悪犯罪者のようにヤバい表情だったんだと思います。そう言われてから、鏡で顔を見られなくなりました」
ところが、実家に戻ってからも、「生きていても意味がない」という祖母の声が聞こえてくる。
「いつもの声のボリュームでエンドレスに。ああ、洗脳ってこういうことを言うのかと。
たまたま僕は祖母を殺めなかったけど、もしかしたら、そっちの道に行っていたかもしれない。
ホント、精神状態が極限で、いつ暴発してもおかしくないと自分が怖くて。何がトリガーになるかわかりません。
僕の最大の社会貢献は、周りに迷惑をかけないように部屋に閉じこもることだと考えたんです」
両親とは顔を合わせないように、「忍者のように気配を消して」暮らした。
両親が家にいる間は2階にある自室から一歩も出ず、仕事に出かけている間に1階に降りて、母親が作ってくれたご飯を食べて、お風呂に入った。
「家族に迷惑をかけているという罪悪感があったせいか、ひきこもっている間は味覚がありませんでした。食べても味がしなかったけど、せっかく作ってくれたから食べないと申し訳ないなと。
母は食べないとダメになると思ったみたいで、運動部の男子のように量が多かったです。あるときから下着も含めて、すべての洋服が入らなくなりました。
夏は裸でも問題ないけれども、冬は寒いので、バスタオルを巻いたり、大きめのコートを羽織ったりしていました。
強烈に覚えているのは、トイレに行きたいという欲求です。父の部屋が隣にあるので、夜は父が寝るまで安心してトイレに行けなくて。2時間ぐらい我慢したらだんだん気がおかしくなってきて。
もう静かに消えたいと思っているのに、トイレに行きたいということは、まだ生きたい気持ちがあるのかなと。ペットボトルにする勇気はありませんでした。自分の生存領域を汚したくなかったからです」