昔から広告宣伝に長けていた

同店は1962年(昭和37年)に誕生した。前身は「三千里食堂」で、食品事業を営んでいた。

「この土地を持っていたオーナーは、ここに合う商売をいろいろと考え、結果として食品事業から薬局事業に変えました。当時、再販売制度というものがあって、定価販売が主流。そこで定価よりも安い値段で薬や化粧品を売って、それが当たったんです」(斉藤均氏、以下同)

三千里薬品を世に知らしめたのが、新聞に挟んだ折込チラシ。

「当時は折込広告チラシが絶大な影響力を持っていました。新聞販売店に頼んで、たくさんばら撒いてもらいましたね」

アナログな宣伝といえば思い当たるのが「三千里薬品」の看板。赤と青の看板で多くの人の記憶に残っているだろう。現在はデジタルサイネージだが、初期はネオンの看板だった。これはいつ作られたのか。

「正確には分からないですが、昔の映像を見ると、1965年あたりから使っていたようです。当初は、ふんどし型ののれんのような看板で、のれんのそれぞれに医薬品の名前が書いてあった。そこにメーカーさんからは競って自社の商品を書いてほしいと言われていました。渋谷では、今も昔も三千里薬品の看板はランドマークですね」

ふんどし型の懸垂幕。それぞれにメーカーの医療品の名前が書いてあった 写真/エイシャン・ブラザーズ提供
ふんどし型の懸垂幕。それぞれにメーカーの医療品の名前が書いてあった 写真/エイシャン・ブラザーズ提供
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そこから看板はサイネージに代わり、別の企業のCMも流されるようになった。しかし、そのCMの間には、かつての看板を思わせる「三千里薬品」の映像が。

「デジタルのポップにしてからは、映像と一緒に音楽も流しました。『あら三千里あら三千里〜♪』とメロディーが流れますよね。以前、若い女性と渋谷ですれ違ったとき、そのメロディーを口ずさんでいて、広告効果を感じました(笑)。あれ、音付きの映像は1時間に8回流れるんです。それが何時間も。だから耳に残りますよね」