アットホームだったお店

長年ランドマークとしてあり続けた三千里薬品だが、そこを行き交う人には、どのような変化があったのか。

「僕が渋谷に来た1965年ぐらいから、若い人は多かったですね。それからだいぶ後にはなりますが、ガングロ系の女性がいたのもよく覚えています。それとサラリーマン。若い人とサラリーマンの街でした」

そこを行き交うサラリーマンとは、こんな交流もあったという。

「昔は、店を入ってすぐのところにカウンターがあったんです。そのカウンターで薬の販売をしていました。だから、歩道と店内の距離がすごく近くて。夜の8時ぐらいから、そこを酔っ払ったお客さんがどんどん通るんですよ。
それで彼らに挨拶されたりして、カウンターから手を振り返していました。アットホームでしたよね。こちらも『この薬を飲むと、明日すっきり起きれますよ』って彼らに薬を売ったりして(笑)」

1952年の渋谷駅前。右下にあるのが三千里薬品 写真/エイシャン・ブラザーズ提供
1952年の渋谷駅前。右下にあるのが三千里薬品 写真/エイシャン・ブラザーズ提供

まるで、昔ながらの商店街を見ているかのような光景だが、そんな風景がスクランブル交差点にはかつてあったのだ。

「最近は、再開発で外国の人をどんどん呼ぼうという流れになっているので、顕著に外国の方が増えたのも印象的です。コロナ禍前は中国の方が多かったのですが、コロナ禍後は欧米系の人が増えてきました。スクランブル交差点を通る6~7割が外国の人の印象を受けます」

三千里薬品のある神南エリアは、東急が行っている再開発のエリアとは異なるが、再開発の影響を思わぬ形で受けたという。

「最初は、『スクランブル交差点の人を西口側に呼び込もう』ということで渋谷の再開発は進んでいたんです。我々も『それは困るなあ』と思っていました。でも、蓋を開けてみれば、スクランブル交差点に人も増えて、それは我々としてはうれしかったですよね」

閉店後の「三千里薬品 神南店」
閉店後の「三千里薬品 神南店」

変わりゆく渋谷と、変わらない渋谷 

変わりゆく渋谷の街だが、斉藤氏は渋谷がどんな街になってほしいと考えているのか。

「最近の再開発で、外国人観光客だけでなく、若い学生さんやOL・サラリーマンも増えています。我々の神南エリアは、そんな人たちがゆっくり買い物できたり、休める場所になったりするといいと思っています。近くにには道玄坂があります。そこから降りてきた人がゆっくりできる場所でありたい。

渋谷全体としては、若者の多様な?いい文化を持ってた昔ながらの雰囲気を残しながらも、時代に合わせて新しくなっていってほしいと思います」

かくいう三千里薬品も、薬局としての役目は終えたが、この春に新しい業態のお店として生まれ変わる。

「新しいお店は、いろいろな企業さんとタイアップして、その企業さんの情報を発信できるようなイベントスペースにしようと思っています。例えば、タイアップした企業さんの商品を売るなどして、情報発信拠点、渋谷文化発信拠点にしたい」

薬局事業は「三千里薬品 宇田川店」に統合された
薬局事業は「三千里薬品 宇田川店」に統合された
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現在、渋谷では一大トレンドとなり多くの企業が参入している、いわゆる「ポップアップストア」のようなものだろうか。確かに、渋谷のあの立地で商品や企業の発信ができるのは、企業側にとっては大きなメリットだろう。

三千里薬品も、渋谷のランドマークとしての機能を果たしながら、時代とともに変化を遂げている。春に誕生する新業態のお店は、渋谷の歴史にどのような彩りを添えるのか。
 

取材・文・撮影/谷頭和希