性病に悩む戦前日本でコンドームが発明された
戦前は、売春が普通に行われていたため性病の罹患者も非常に多かった。当時、性病は花柳病と呼ばれた。遊郭などでうつされることが多かったからだ。
戦前、性病の届け出義務はなかったので、明確な統計はない。ただ、徴兵検査のときに性病の検査を行っており記録が残っているので、そこから推測することはできる。
昭和8(1933)年の徴兵検査は、検査人数が65万1240人、そのうち性病に罹っているものは、7847人である。青年男子のだいたい1、2パーセントが性病に罹っていたということである。この罹患率は、どの年もあまり変わりがなく、1パーセント前後となっている。
この表を見ると、性病に罹っている人はかなり多いようである。現在、日本の梅毒患者は、3万5千人程度とされ、全体の0・1パーセント以下である。だから戦前は、今の10倍以上の性病罹患者がいたということになる。ただ戦前はコンドームなどが普及していなかったことを考えると、そう多いともいえないかもしれないが。
また大正9(1920)年には、性病罹患者の感染源の調査が行われている。
予想通りというか、まずもっとも多いのが娼妓(売春婦)である。芸妓とは、芸者さんのことである。前述したように芸者は基本的には売春はしないが、中には売春をする者もおり、また客と愛人関係になることも多かった。
酌婦とは、酒場で働く女性のことであり、現在のホステスのようなものといえる。地域や店によってはこの酌婦も闇で売春をすることがあった。たとえば、群馬県では、酌婦からの感染がもっとも多かったのだが、戦前の群馬県は公娼(売春)を認めていなかったので、酌婦が闇でその役目を担っていたのだ。