写真家として
――三浦さんの著作の大きな特徴の一つが、著者本人が撮影した写真です。今回の『沸騰大陸』にも、表紙カバー含めて、多数の貴重な写真が収録されています。
三浦英之(以下同) 海外メディアと日本メディアの大きな違いの一つに、ライターとカメラマンの分業制があります。海外メディアの多くは、ライターとカメラマンがそれぞれ完全に分業されているのに、日本では現場の記者が大抵、現場の写真撮影も担うことが多い。
クオリティーとしては、前者の方がだいぶ良いものができるのですが、僕自身としては、後者の方が有り難く感じています。
――なぜでしょうか?
僕はそもそもカメラマン志望なんです。大学院を卒業した時の第一志望は、無謀にも米ナショナル・ジオグラフィックでした(笑)。僕はネイチャー・カメラマンになりたかったんです。
職業記者になって感じることは、国内外のどの現場でも、やはりカメラマンは最前線に行く。一番危険なところ、一番ホットなところに、両肩に大きなカメラをガチャガチャぶらさげて行くんです。実にかっこいい。
ライターは、そこからだいぶ離れた安全なところで記者会見に出たり、人々の話を聞いたりする。弾丸の飛び交うようなところで、人々の話は聞けませんから。でも、僕自身は現場の最前線に行きたいんですよ。だからいつもカメラを持って、僕は「一番前」に行きます。
――取材の最前線の空気が、写真からも文章からも伝わってきます。
でも一方で、僕は写真の人間じゃなくて、文章の人間なんだと自覚しています。写真に関しては、やはりプロのカメラマンのほうがうまい。
文章については、これまでの積み重ねもあり、「商品」として人に読んでいただけるものを書ける自信があります。
でも、僕はカメラを手放さない。なるべく最前線に行って、写真を取り、そこで見たものを、感じたことを、自らの文章に置き換えていく。僕はそういう現場では意図的にズームレンズではなく単焦点レンズを使ってるので、どうしても対象に寄って行かざるを得ない。それも自分の文章に良い効果を与えてくれていると信じています。
――一人で両役をやってると、煩わしく感じることはありませんか?
全くないですね。逆に、取材対象者に真正面から向き合い続けていると、ちょっと照れて恥ずかしかったりするんですよ。でも、カメラを構えると、いろんな角度で寄ることができたり、「あ、この人、こんな表情するんだ」とかっていう発見があったり、文章を書くための、すごくいいツールになるんです。
僕が「ノンフィクション作家」じゃなくて「ルポライター」を名乗っているのも、絶えずカメラを抱えて、現場にできるだけ足を運び、写真を含めた作品を作っているから、というのが大きな理由の一つです。