先人たちの轍の上を歩く
――三浦さんの作品には共通して、取材対象に鋭く切り込む視点と、取材当事者としての思いがにじみ出る部分とが絶妙にバランスしており、そこがとても印象に残ります。このあたりに関して、ご自分ではどう感じていらっしゃいますか?
これは、これまでルポルタージュやノンフィクションという分野を築きあげてきてくれた先人たちの影響です。
僕は学生時代からこうした分野の作品を読むのが大好きで、例えば、開高健さんだったりとか、児玉隆也さんだったりとか、沢木耕太郎さんだったりとか、近藤紘一さんだったりとか。朝日新聞でいえば、本多勝一さんや伊藤正孝さんかな。
そんな作家やジャーナリストの大先輩たちが書いた素晴らしい本があり、それを何度も何度も読み返してきた。
そこにはやはり、取材対象やテーマの話だけじゃなくて、僕がいま作品化しているように、酒を飲みながら仲間とこう語り合ったとか、銃弾の飛び交う戦場を鉄兜をかぶって駆け抜けたとか、それぞれ取材する自分たちの話がいっぱい出てくる。
それがいつも脳裏にあるから、「ああ、開高さんも多分こうやって取材していたんだろうな」とか、「近藤さんならどんなふうにアプローチしたかな」と考えながら取材しています。
――これから先、今度は三浦さんの作品を読んだ若い書き手が、同様に影響を受けることもありそうです。
影響と言えば、最近とても驚いたことがあります。1994年のちょうどルワンダ内戦の後、共同通信のアフリカ特派員で沼沢均さんという方が、ケニアからコンゴに向かう途中、乗っていたチャーター機が墜落して死亡しているんです。
沼沢さんは3年間ぐらいアフリカ特派員をしていて、日本に帰任間際だったんですが、死後、『沸騰大陸』と同じような本を出しているんですよ。
――同じような本を?
そうなんです。『神よ、アフリカに祝福を』(集英社、1995年)という本なんですが、今読み返してみると、本当に『沸騰大陸』とそっくりなんです。
それはご本人が帰国したら本を出そうと思って、ワープロの中に原稿を書きためていたのを事故後、当時共同通信のデスクだった辺見庸さんらが見つけて書籍化したらしいんです。辺見さんは『もの食う人びと』のアフリカ取材で、沼沢さんとつながりがあったそうなんです。
もちろん、僕もその本をアフリカの赴任前に読んでいて、先日たまたま、沼沢さんが亡くなって30年という節目で、当時の同僚などが故郷の青森市にお墓参りに行くというので、同行させてもらいました。
その際、『神よ、アフリカに祝福を』を久しぶりに読み直したんですが、自分でもビックリするくらい『沸騰大陸』と手触りが同じだった。
30カ国ぐらいをめぐるルポで、ひたすら現地の人々の生活を書いている。あまりに共通点を多くて、読んでいて「ゾーッ」とするほどでした。『神よ、アフリカに祝福を』という作品をかつて読んで、こういうのを書けたらいいなという思いがどこかに残っていて、それに引っ張られる形で『沸騰大陸』ができたんだな、と。沼沢さんが僕の中に確かに「いる」。僕も新たな世代の書き手へ何か残すことができれば、嬉しいです。