「TOKYO COFFEE NO MAKI(トーキョーコーヒーノマキ)」(ジャンプ・コミックス197巻収録)

今回は、両さんが日本産のコーヒー農園経営に挑むお話をお届けする。

現在、日本国内のコーヒー産地は、実質的にはごく一部の地域……沖縄県、東京都・小笠原諸島、鹿児島県・徳之島・沖永良部島といった場所に限られている。両さんもまた、日本の南端での栽培をはじめるのだが……!?

今回は本編をお読みいただく前に、「○○喫茶」と銘打たれた変わり種喫茶について、手短に解説してみよう。

歌声喫茶、ジャズ喫茶、名曲喫茶
音楽を主目的としたもの。歌声喫茶は1950年代の労働運動、学生運動の高まりとともに増え、客は連帯を呼びかけつつ民謡や労働歌を声に合わせて歌った。ジャズ喫茶や名曲喫茶は、店に備わった高級なオーディオ機器でレコードを聴くためのもので、会話は基本的に必要最小限にするのがマナー。

純喫茶
酒類の提供や女給による接客をせず、豆や焙煎方法、抽出法にこだわったコーヒーを提供する。1960年代から1980年代までの、喫茶店全盛期には数多くの店が存在していた。

深夜喫茶
深夜までの、あるいは終夜営業をする店。不良のたまり場や不純異性交遊の温床となった一面も。

ゲーム喫茶
1970年代後半の『スペースインベーダー』『ドンキーコング』などビデオゲームのテーブル型筐体を導入した喫茶店。一方で、違法な賭博行為をする店も同じ名称で呼ばれていた。

「私設警察!の巻」(ジャンプ・コミックス15巻収録)より。「ゲーム喫茶」を名乗ってはいないが、1970年代末から1980年代初めの喫茶店のテーブルは、どこもこんな感じだった。1回100円のゲーム機の導入で、一杯数100円のドリンク代の何倍にも客単価が跳ね上がるのだから、無理もない
「私設警察!の巻」(ジャンプ・コミックス15巻収録)より。「ゲーム喫茶」を名乗ってはいないが、1970年代末から1980年代初めの喫茶店のテーブルは、どこもこんな感じだった。1回100円のゲーム機の導入で、一杯数100円のドリンク代の何倍にも客単価が跳ね上がるのだから、無理もない

それでは次のページから、両さん流のコーヒー栽培の行く末をお楽しみください!!