アトピーが悪化し、ひきこもる
「高校は東京の学校へ」という両親の意向で中学3年の5月から実家に戻った。
だが、夜になると喘息の発作が出て眠れない。欠席を繰り返し、担任の勧めで始業時間の遅い4年制の高校に進んだ。
高校時代は若者向けのファッション誌より、『Newsweek日本版』を愛読。テレビのニュース番組などもよく観ていた。
「アトピー性皮膚炎に処方されるステロイドは有害」という報道が盛んにされるようになると、野口さんもステロイドへの不信感を持ち、皮膚科への通院をやめてしまう。
海外に魅力を感じて国際ビジネス科のある専門学校に進んだが、アトピーの症状はひどくなる一方で通学もままならなかった。
「あれ、昼間っからお酒飲んでるの?」
アトピーのせいで赤黒くなった顔を見た知り合いに勘違いされて、ショックを受けたことも。野口さんは専門学校を21歳で卒業すると、そのままひきこもってしまった。
「肌がボロボロで、ひどいときは血液じゃなくて、体液がダラダラと出ている状態で……。クラスメートからアトピーを理由にいじめられたことはありませんが、自分自身でアトピーを受け入れられず、引け目ばかり感じていました。
就活をする気にもなれなくて。もう、どうでもいいとあきらめていたというか、家から出たくなかった。
だって、街を歩いているとガラス窓とかに自分が映ったりするじゃないですか。それを見るたびに、嫌な気持ちになるんです」
ひきこもり始めてから、父親に何度か「お前はいくつになったんだ!」と叱られた。
だが、普段から「バカ」「うるさい」という衝動的で一方的な言葉しか口にしない父親とは、腹を割って話したことは一度もない。築50年の古いマンションなので、母親をなじる声は何度となく聞こえてきた。
「お前の育て方が悪いんだ!」
父親は地方の県立工業高校を出て、大手建設会社に入社。一流大卒の社員がほとんどの中、一級建築士の資格を取って設計部長にまでなった努力家だが、家庭内では独りよがりな父親だった。
地方から結婚を機に上京した専業主婦の母親は、そんな父親にべったり依存しており、野口さんは幼いころから母親に何度かこう言い聞かされたそうだ。
「お父さんに『出て行け』と言われたり、お父さんが亡くなったら、ここに住めなくなるし、生きていけないのよ。だから、あなたもお父さんに言いたいことがあっても我慢して。黙っていなさい」
父親と衝突することが多かった兄は、漫画やアニメが好きで、自分でもよく漫画を描いていた。才能をいかして専門学校を卒業後、デザイン事務所に就職して早々に家を出た。
野口さんがひきこもって間もないころ、兄に相談したことがあった。一言だけ返ってきた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
野口さんは「それがわからないから相談しているのに」と当時は不満に思ったが、今では何かに悩むたびに、兄の言葉を思い出している。