浪人、留年、平成不況で親の家系が急変
松山でも斎藤知事は好印象を残している。
「正直、今の報道とまったく結びつかないというか……。なんていうか印象がかけ離れてますね。高校高学年の頃は、ウチにも何度か遊びに来ました。斎藤さんは挨拶もしっかりしましたし、礼儀正しかったですよ。活発な子だったのでウチの子にも明るく話しかけていましたが、高圧的な部分なんてひとつもありませんでした」(高校時代の同級生の母親)
そして女性はこうも言う。
「ウチに遊びに来た時は晩ごはんまで食べて行くことが多かったのですが、それこそ今言われているおねだりみたいなことも言いませんでしたし、何か『ください』みたいなことを言われた記憶もありません」
つまり高校時代まではパワハラ気質もおねだり癖も見えなかったというのだ。
この女性は「今言われているような(人に)強くあたる子なら、息子からも友達にも慕われてなかったと思いますし、やっぱりどこかで変わってしまったのかもしれないですね…」と首をかしげる。
別の同級生の父親も「息子は今回の斎藤君の報道を見た時に『人が変わってしまったんかな』『こういうことするタイプではなかったんだけどな』って言っていた。息子は斎藤君と寮も一緒で、中・高6年間仲が良かったんだ。息子が、人が変わってしまったって言うんだから、当時と今報道されている斎藤君はかけ離れてるってことなんだろうな」と話している。
一浪後、東大経済学部に進んだ斎藤知事。秀才青年は意外なことに大学で留年している。
「平成不況で、親の家計が急変しました。一時は在学継続をあきらめかけたのですが、育英会の奨学金に救われました。ここで初めて、セーフティーネットの重要性に気づき、行政、そして政治の道に進むことを考えはじめました」(本人ウェブサイト)
そして、本人の話ではここでも祖父の存在は大きかった。
「『地方自治を司る総務省もおもしろそうだ』と思い、相談してみました。すると、祖父はこう言うのです。『名前の元彦は、元兵庫県知事の金井元彦さんから命名した』と。初めて知った名前の由来とこれまでの人生経験が重なり、私は総務省を選ぶことを決めました。地方自治の道を志し、いずれ、兵庫のために尽くすことが、入省時に抱いた目標と夢でした」(同)
その時からいずれは兵庫県知事にとの思いを抱いていたらしい斎藤青年。三重県や新潟県佐渡市、福島県飯舘村、宮城県に出向し東京と地方を行き来する生活を送る。
だが、この時期に兵庫県知事就任後と同様に部下職員にパワハラを行っていた気配がある。兵庫県議会が行った県職員アンケートにこんな回答があるのだ。
「昨年(2023年)夏に山梨県で開催された全国知事会議で本県幹部と担当職員がエレベーターで乗り合わせた相手から、『斎藤君のところか。パワハラで大変だろうけど、がんばって』といった趣旨のことを言われた」
公開されたアンケートの記述では、兵庫県職員に同情の言葉をかけてくれた相手がどの自治体の職員かは明らかではないが、「自分たちが受けた被害を、今兵庫県職員も受けている」との認識がなければ出ない言葉だろう