「避難したところにすでにテントが張ってあった」

今年の元日に能登半島沖で最大震度7を記録する地震が起きた。これに続き、台湾東部では4月3日に最大震度6強の大きな地震が発生したのに続き、23日にも再び震度5以上の地震があった。東アジアの2つの国を襲った災害による被害はどちらも甚大で、多くの市民が避難生活を余儀なくされた。

23日未明、台湾東部・花蓮で地震により大きく傾いたホテル(写真/共同通信社)
23日未明、台湾東部・花蓮で地震により大きく傾いたホテル(写真/共同通信社)
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しかし、発生直後から、日本と台湾の政府対応の大きな違いが浮き彫りになり、さまざまなメディアによって取り上げられた。

特に注目されたのは、避難所での生活だ。なぜ、日本の被災者は体育館に敷かれた段ボールの上で、プライベートむき出しの生活を強いられているのかと。1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災等々、幾度も大きな震災を経験していながら、果たして学びはあったのかという批判がかまびすしい。

一方、台湾のそれは個々にプライバシーが保護されるテントが設置され、無料Wi-Fi、エアコン、温水シャワー、果てはマッサージや育児のスペースまで確保されている。何より日本のメディアを驚愕させたのが、避難所開設までのスピードである。震災発生後4時間で完成していたことに大きな注目が集まった。

台湾のこの危機管理の秀抜さはどこから来るのか。2019年から日本台湾交流協会台北事務所の事務所長を4年間務めた泉裕泰氏に話を聞いた。耳慣れない役職名であるが、日本と台湾は公式には国交がないためで、実質的には「駐台湾日本大使」である。

「4月3日の台湾東部沖地震は緊急速報で知りました。自分が赴任していたところですから、テレビの映像を観て被害の深刻さに驚くと同時に、悼む気持ちがまずありました。それからさまざまな情報が入ってきましたが、被災者を受け入れていった行政の対応の速さは私の予想以上でした」

泉氏はお役所言葉では語らない。

「被災地である花蓮県が不動産業者と協力して家を失った人たちへの住居の確保と提供をし、補助金を受け取るための窓口の設置を早々と決めました。迅速さの例えからか、『避難したところにすでにテントが張ってあった』とさえ言われました。

もちろん、台湾でも問題はありました。被災した建物が専門家の調査によって倒壊危機にあると判断されたら、所有者への通知なく強制的に撤去されるという法律があって、室内にある貴重品を持ち出せなかったという人もいたわけです。その反発は当然ありました」