戦争に「善悪」は存在するのか
本書「九条~」は、木村晋介と謎の女性の対話によって構成されている。瑤子は、某大学法科を出た25歳のシングルであるというが、実在するかどうかはさしたる問題ではない。著者は木村なので、文責も彼にある。
第1章において木村は、この80年間近く、国会で、新聞やテレビや学校の教室で、訳の分からないデモやSNSで気軽に口にされてきた「すべての戦争はいけない」という逃げ道を否定する。
〈どんな場合でも戦争をしないという選択は合理的でないように見えますね。すべての戦争がいけないということになると、結局やったもん勝ちになってしまうという〉【5】
なるほど理解できるが、続く後段はどうだろう。
〈日本軍国主義やナチスとは戦わず、やりたいだけやらせればよかった、と本気でいう人は少ないでしょう〉【5】
ここに欠けている、というより木村が見ないことにしているのは、戦前の日本やドイツにかぎらず、どのような勢力が相手であれ、諸外国に〈やりたいだけやらせ〉ないためには「戦争を認めること」が肝心なのではなく、どのような手段や武器を使っても「戦争に勝つこと」が肝心である、という当たり前の事実だ。そしてまた、当事者性だけに気を取られていると「国際公共善のためには行わざるを得ない戦争」にも目をつぶることになるだろう。
木村は戦争を「悪い戦争(侵略)/善い戦争(自衛)」に色分けする思考法にからめとられ、なされてしかるべき「戦争では勝たねばならない」という言い方ではなく、「悪とは戦わねばならない」という表現を選ばざるを得ない隘路に迷い込んでしまっているように見える。