70年代の終わりと80年代の始まり

重松 もしかすると見たくないかもしれないけど、この本、出していい? 1980年に出版された『明日は騒乱罪』。糸井重里、岡留安則、笠井潔、亀和田武、橋本治らによる、当時の20代に向けたアジテーションブック、みたいな感じの1冊ですよね。田家さんも、ライフル構えてスナイパー姿で写ってますね。

「佐野元春さんはよくぞ『さよならレボリューション』って言ってくれたなって。もう70年代じゃないんだよって見せてくれた」(田家秀樹×重松清)_3

田家 恥ずかしいです。お調子者なんですよ(笑)。

重松 「動け!」っておっしゃってますね。「別個に進んで同時に撃て!」みたいなね。僕はこの本を、ほぼリアルタイムで読んだんですが、今改めて読み直すと、いろんな人が甲斐バンドや泉谷しげる、頭脳警察、吉田拓郎など、音楽にメッセージを絡めて語っている。

それでね、『80年代音楽ノート』の中で、佐野元春さん『ガラスのジェネレーション』の「さよならレボリューション」という歌詞を、80年代的なフレーズとおっしゃってるんだけど、僕は、田家さんの世代としては「さよならレボリューション」って言わせちゃいけないんじゃないかなと思ったんです。

田家 ああ、でもね、「よく言ってくれた」って感じの方が強かったですね。うん。まあ多少の引っかかりもありましたけど、「レボリューション」っていう言葉を使ってくれたこと自体が嬉しかった。

やっぱり70年代の終わりって、恥ずかしい言い方になりますが「革命幻想の末路」みたいなものを見ちゃった感じがあったんですよ。で、次にいけなくて悶々としていたなかで、「さよならレボリューション」っていう風に言われた時に、 ばーっと先が開けて、「ああ、そういうことなんだよな」っていうふうに思えたんです。

重松 なるほど。

田家 70年代のあの革命幻想はもう幻だったんですよ。あれからは何も生まれなかったじゃないですか、って。批判ではなく、僕の中ではそういう実感があった。だから、佐野さんの“旗”は、気持ちよかったですね。

もう70年代じゃないんだよって見せてくれた。山下達郎さんも坂本龍一さんもRCサクセションも、みんな80年代へ走り出して違うところに行った。俺も、っていう感じでしたね。