「そんなに広くなくても」っていうぐらい広い家にも住みました
ーー当時は給料も相当もらっていたのではないでしょうか。人気が上がるにつれて生活ぶりも上がっていくなか、スキャンダルで一気に落ちることもあったのでは。
「給料はどれくらいあったんでしょうね。未成年だったので、給料明細が私には届かないんですよ。親のほうに届くので、自分がいくら稼いでいたのかわからなかったです。でも生活ぶりは一気に上がっていって、引っ越しはめちゃくちゃしました。10回ぐらいしました。どんどんどんどん家が広くなっていきました。おばあちゃんと住んでいたんですけど、『そんなに広くなくてもいいんじゃないか』っていうぐらい広い家にも住みました。
でもスキャンダルが報道されると、一気に仕事がストップするので、そのときはやっぱり自分の中で『なんてことを私はしてしまったんだ』と思いました」
ーー喫煙発覚後も、加護さんのスキャンダルは続きました。
「はい。私の Wikipedia にいっぱい書いてあります。多すぎて自分でもわからないくらい。多分嫌すぎて記憶が消えている部分もあります。2 回目の喫煙発覚したのは18 歳。その後も名前が商標登録されていたり、不倫の疑いを向けられたりしたことも……。結婚する前に交際相手が逮捕されて、結婚中に2回、離婚後も逮捕されていて、これはダメだと思いました。
男運がないと思われる方もいらっしゃいますが、今の旦那さんとはうまくいっていますし、私より壮絶な人生の人って世の中にもたくさんいます。ただ私が表に出ているだけで、もっと大変な思いをしている方はいるはず。私は元気だし、病気にもなっていないので、不幸中の幸いだと思っています」
ーーポジティブで前向きな気持ちはどのように持ち続けていますか。スキャンダルの度に芸能界で浮上するのは難しいと思いますが、その原動力はなんでしょうか。
「本当に根が明るいっていうのはあると思うんですよ。どうしても何度挫折しても立ち上がっていく自分でありたいっていう、やっぱり子どもを産んでから強くなりました。子どもがいなかったら多分自分だけのことだから、芸能界を辞めて、『加護亜依』という人生を終えて、別の自分の人生を歩んだかもしれない。でも子どもには『どんなことがあってもお母さんは立ち上がるんだ』っていうところをやっぱり見てもらいたいというのが一番強い。長女を産んだときからめげない気持ちが強くなりました」