伝説のバーバーリーのマフラー

――おふたりは、テレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』の出身です。

鈴木亜美(以下、鈴木) 25年前の平成にはYouTubeもTikTokもなく、クラスのみんながテレビのASAYANを見ていました。私は観覧席の端でちらっとでもいいから映りたいと、必死にハガキを書いていたんです。歌手になりたというのはありましたけど、それ以上にASAYANに出たいという気持ちのほうが強かった。

後藤真希(以下、後藤) 私は受かったらいいなぁというくらいの気持ちでした。当時ASAYANの『モーニング娘。』の3期メンバーのオーデションともうひとつ、『avex dream』という公開オーディションがあって、両方受けようと思っていたんですが、ちょっとだけASAYANのほうが早かったんですよね。

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後藤真希(左)と鈴木亜美(右)
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――おふたりとも文字通り一夜にしてスターになったわけですが、すぐに変化を受け入れられましたか?

鈴木 私の場合はオーデションからデビューまでの期間が長くて、何か月もテレビカメラで撮影していただいている状態でした。家の中はもちろん、学校側とも調整したうえで授業中もずっとカメラが回っていて、正真正銘の密着でした(笑)。ずっとテレビに出ていたのでこれで落ちたら恥ずかしいなと不安で。

受かったときはホッとした気持ちのほうが強かったですね。

後藤 私はオーディションから合格までが2週間くらいで、そこからデビューするまでが約1か月くらいでした。すべて夏休みの間の出来事なんです。カメラがずっと回っているなと感心している間に夏が終わっていましたね(笑)。

――合格後、アイドルとして生活していく怖さはなかったですか? 日本中がおふたりのことを知っているわけですよね。

後藤 怖いとは思わなかったです。デビューした瞬間に皆さまに知っていただけていたので、ASAYANの影響力はすごいなーと思いましたが。

鈴木 朝、家を出るとファンの方々がもう待機していて、「いってらっしゃい」と手を振ってくれるんです。学校に向かって歩き出すと、その子たちも一緒についてきて授業が終わって外に出ると、またそこにいる…みたいなのが普通でした(笑)。

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――鈴木さんがバーバリーのマフラーをして、『ASAYAN』に出た翌日、バーバリーのマフラーを巻いた学生街に溢れたという伝説が残っています。

鈴木 そうみたいですね。でも私は知らなくて(笑)。

後藤 うちの中学でもみんなバーバーリーのマフラーをしていました。あれは、亜美ちゃん発信だったんですね。