トラブルを「前半」のあいだに解決する
第三に、ピクサーのような反復的プロセスは、心理学で「説明深度の錯覚」と呼ばれる、基本的な認知バイアスを克服するのに役立つ。
たとえば、あなたは自転車が走る仕組みを知っているだろうか? ほとんどの人は知っている「つもり」でいるが、簡単な図に描いて説明することができない。自転車のほとんどの部品がすでに描かれた図があっても、正しく描き上げられない。
「人は複雑な現象を、実際よりもはるかに正確に、整合的に、深く理解しているつもりでいる」と研究者は結論づけた。計画者にとって、説明深度の錯覚が危険なのは明らかだ。
だがこの錯覚は、ほかの多くのバイアスとは違って、簡単に解消できることも明らかになっている。理解しているつもりのことを説明しようとして、実はわかっていないことを自覚すれば、錯覚が解けるのだ。
ピクサーの監督はこの反復的プロセスによって、自分が物語で伝えたいことを、大きいものから小さいものまですべてくわしく説明させられる。おかげで、錯覚は高価な問題を引き起こしがちなアニメーション制作段階に入るずっと前に解消する。
このことは第四の理由とも関係している。
計画立案にはコストがそれほどかからない。もしかすると、絶対額では「安い」とは言えないかもしれない。ピクサーでは、監督が率いる脚本家とアーティストの少人数のチームが映画のラフを制作するが、これだけの人員を何年も働かせるのには相当なコストがかかる。
それでも、劇場公開版のデジタルアニメーション制作に必要な、数百人の精鋭人材や最先端テクノロジー、映画俳優の声当て、大物作曲家の楽曲提供などのコストに比べれば、たかが知れている。だから、実験的映像を何度もつくり直すコストは、相対的に「安い」と言える。
このコストの差が重要な理由は単純だ。大型プロジェクトではトラブルが起こるのは確実で、「いつ」起こるかだけが問題だからだ。反復的プロセスによって、その「いつ」が「計画フェーズ中」になる確率を大幅に高めることができる。
これが大きな違いを生む。たとえ映画のバージョン5で重大なトラブルが発覚して、すべてのシーンを書き直す必要が生じたとしても、時間とコストの損失は比較的軽くすむ。だが同じトラブルが制作フェーズで発覚して、すべてのシーンを制作し直さなくてはならないとしたら、膨大なコストと危険な遅延が発生し、プロジェクト全体が頓挫するかもしれない。
この単純な違いは、ほぼすべての分野のプロジェクトに当てはまる。計画を立てる間に、打てるだけの手を打っておこう。そして、計画はエクスペリリ(実験+経験)をもとに、ゆっくり、徹底的に、反復的に立てよう。
もちろん、ピクサーのすばらしい成功の理由は、優れた開発プロセスのほかにもたくさんあるが、それでもピクサーがハリウッド史上前例のない成功を収めているのは、このプロセスによるところが大きい。ピクサーは、ただ高評価で高収入の名作を制作しているだけでなく、それらを前例のないほど一貫して制作しているのだ。
第一作の「トイ・ストーリー」を公開した1995年にほぼ無名の新興企業だったピクサーは、その10年後にエンターテインメント界の巨人ディズニーによって、(2021年の金額で97億ドルで)買収された。
そのうえディズニーは、ピクサーのCEOだったエド・キャットムルに、長年低迷していた名門ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの社長を兼務してほしいと求めたのだ。
これが吉と出た。キャットムルはピクサーでヒット作を連発しながら、ディズニー・アニメーションの立て直しにも成功した。現在彼はピクサーからもディズニーからも退いているが、ピクサーでは彼の指揮下で開始された22件のプロジェクトのうちの21件、ディズニーでは11件のうちの10件が公開にこぎ着けた。ハリウッドの100年あまりの歴史の中で、ここまでの成功率は前代未聞である。
このプロセスはそれほど有効なのだ。
文/ベント・フリウビヤ 写真/shutterstock