「将来は外国映画のスターになれたら…」

宮沢が撮影の合間などで受けたインタビュー(「週刊明星」1989年4月20日発売号)を読むと、彼女の女優への本気度が当時から相当高かったことが伺える。

「ところで、3月に中学を卒業したりえは、高校へ行くのをやめた。りえは決めたんだ、もっと実際の生活で役に立つ英会話とか、フランス語とかを勉強しようってね。それで“フランスとかアメリカに住んでみたい”という夢をかなえようってね。将来は外国映画のスターになれたらいいなと思ってる」

宮沢は本作で日本アカデミー賞新人賞を受賞。翌年の1989年4月からはドラマ『青春オーロラ・スピン スワンの涙』(フジテレビ系)で初主演し、同年の大河ドラマ『春日局』にも出演している。さらに翌年の1990年1月にはドラマ『いつも誰かに恋してるッ』(フジテレビ系)で主演を果たすなどまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
『いつも誰かに恋してるッ!』で再び宮沢と共演した大沢さんが当時を振り返る。

1990年、男性ベストジーニストでグランプリを受賞した高嶋政伸とのツーショット(1990年6月14日発売号「週刊明星」より。撮影/青柳宏伸・石川啓次)
 
1990年、男性ベストジーニストでグランプリを受賞した高嶋政伸とのツーショット(1990年6月14日発売号「週刊明星」より。撮影/青柳宏伸・石川啓次)
 

「撮影の時間が押してスタッフがピリピリし始めても、りえちゃんがいるだけでその場の雰囲気が変わる。撮影が朝から晩まで続いても全然疲れた姿を見せない。ため息ひとつついているところを見たことがないし、いつもハキハキしててまるで太陽のような存在でした。
もちろんセリフ覚えもよくて、女優に必要な要素がそのときにすでにすべて備わってました」

本作で宮沢が演じた桜井理子の口癖、「ぶっとびー」は流行語にもなった。1990年4月5日発売号の『週刊明星』では撮影終了後の宮沢さんに直撃。その様子からも宮沢の底抜けの明るさが伝わってくる。

 「アッつー間の3ヶ月だったよね。毎日、学校に通うみたいに渋谷ビデオに通ってた。毎日、理子を演じて、合間に遊んでた。ひかるちゃん(西田ひかる)と英語ごっこしたり、真木くん(真木蔵人)にクツもらったり…大沢くん(大沢健)からかったり…すっごく楽しかった。応援してくれたみなさん、ありがとう。りえはまたいつかやりたいな、同じメンバー、同じスタッフで…」

同年10月には続編『いつか誰かと朝帰りッ』が放送されており、彼女のこの言葉はすぐに実現したかたちだ。