野茂にとって初の“プロ”での優勝

とにかく優勝したい。その思いがメジャー・リーグ1年目にして現実のものとなったのです。舞台はホームのドジャー・スタジアムではありませんでした。劇的なサヨナラ勝ちでもなかった。でも、体感できた優勝は、イメージしていた理想のシーンよりも、はるかに感動的でした。

シーズン後半、9月に入ってからベンチのムードは特によかったんです。

野茂英雄「シャンパンかけが始まって5分もするとマスコミが入ってきたので邪魔になったというか…」ドジャース初年度に地区優勝を果たした野茂の手記_2

チームリーダーとして一番よく声をかけていたのは、やはりピアザとキャロス。

「もうオレたちは以前のオレたちとは違うんだ。やれる、絶対に勝てる、絶対に勝とう」

4年前のルーキー・シーズンで最下位という屈辱を経験しているキャロスが叫べば、ピアザが応えます。

「プレーオフには一生、出場できない選手もいるんだ。だから、その栄誉をなんとしても、このチャンスに勝ち取ろう」

チームにベテラン選手がいたことも心強かった。僕が初ヒットを打った時に、大好きな寿司を奢ってくれたウォラックがいる。95年、開幕前にメッツにトレードされながら、シーズン途中でドジャースに復帰した、チームを知り尽くした男バトラーもいる。それに投手陣の心の支え、キャンディオッティも。

彼らは自分たちが前面に出るのではなく、若きチームリーダーたちを頼もしそうに見つめながら、経験の浅い選手をさりげなくサポートしてくれるんです。

若手だって負けてはいません。

シーズン中に納得のいくプレーができないとロッカーを叩き壊して暴れたモンデシーが、優勝決定の試合で勝ち越しのホームランを打ちました。僕にスペイン語と英語の混じった言葉で話しかけてくるバルデスも、持ち前の明るさでムードメーカーになっている。フォンビルもレギュラーを手中にして燃えている。

これほどベテラン、中堅、若手が一体となっているチームだったからこそ優勝できたのだと思います。昨年のドジャースは僕にとって『メジャーリーグ』のインディアンス以上に個性にあふれながら、まとまった素晴らしいチームでした。

また、僕を陰で支えてくれたゼネラル・マネージャーのフレッド・クレアーやトム・ラソーダ監督が喜ぶ顔も見ることができた。僕がドジャースに入団するきっかけとなったピーター・オマリー会長の笑顔にも触れることができた。

近鉄時代には、したくてもできなかったので、優勝できたことの喜びは、言葉では表せないほど大きなものでした。それに優勝はこれまで黙って僕についてきてくれた家族に対しても、最高のプレゼントになったと思うんです。

僕が入団する前年、つまり89年の近鉄のV旅行はさんざんだったそうです。1年間苦労して優勝して、現地に行ってみたらホテルが予約されてなかったとか、オプショナル・ツアーとか言って無理矢理バスに乗せられ、観光をさせられたとか、小遣いは1日100ドルという制限つきだったとか。

僕は直接は知りませんが、選手の中には「優勝のプレゼントがこれじゃあ……」と言って嘆いている人もいたそうです。

寂しい話ですよね。偉い人から裏方の人まで含めて、みんなで盛り上がれるのが優勝のいいところなのに……。

ひとりの力ではなく、みんなで勝ち取るのが優勝ですから、球団も選手も同じ気持ちで喜び合うものなのです。だからこそ地区優勝をチームのみんなで喜び合えたことは僕の誇りです。

メジャーで投げられただけでも満足なのに優勝(ナ・リーグ西地区)まで味わえて、ホントにアメリカに来てよかったと思いました。球場を出た後も、体じゅうに喜びが残っていました。

初めてのシャンパン・ファイトの印象ですか?ウ〜ン、ホントは仲間たちと、じっくり喜びを分かち合いたかった。シャンパンかけが始まって5分もするとマスコミが入ってきたので邪魔になったというか……。まっ、いいんですけどね。こういう喜びっていうのは、シーズンを通して戦ってきた選手同士でやりたいものなんです。