今だから言えるテレフォンショッキング裏話

「タモさんのメガネは夜の番組とは違う感じにしようとか、スタイリストの矢野悦子さんに相談して衣装はお昼の番組に合うようキレイめにしようとか、オープニング曲は伊藤銀次さんに『イントロなしのいきなり歌い出すポップな感じで』なんてお願いしたり」

「いいとも!」の名物コーナーといえば、初回から最終回まで一貫して放送された「テレフォンショッキング」。

「当初はテレビの対談でよくある応接セットにするようにと言われたけど、僕は『あの時間帯でそんなのダメだ』と強く言いました。

出演者が座るテーブルと、カレンダーと過去出演者が表示される大型パネルをステージの両サイドにハの字型に配置して、タモさんが動きやすいように真ん中にスペースをつくった。思いつきでいろいろできるのがタモさんのおもしろさなので、そういうことが自然発生しやすい空間をあえて入れてみたんです」

その思惑がピタリとハマっていたことは、「テレフォンショッキング」を見たことのある人ならわかるだろう。また、ゲストが次回のゲストを紹介するのがお決まりとなっていたが、こんな裏話も。

「週刊明星」(1983年5月5日発売号/集英社)
「週刊明星」(1983年5月5日発売号/集英社)

「毎日ゲストがその場で次のゲストを呼ぶのは大変だから、裏で5人くらいスケジュールを押さえてたんですよ。月替わりで出演者のスケジュールを調整する“月担”のスタッフがいて、事前に5人くらい紹介する友達を挙げてもらってました」

「テレフォンショッキング」といえば、友達紹介の際の「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪っ!」というフレーズや、コーナー冒頭でのタモリの問いかけに観客が「そうですね!」で返す掛け合いなどがおなじみだった。

「『友達の友達は~』はいつから始まったんだろう。まったく覚えてないや。掛け合いは当時ADだった片岡飛鳥(「めちゃ×2イケてるッ!」総監督。現在は独立)が前説でお客さんとやってたのを、タモさんがコーナー冒頭でなぞったのが最初かな。なんとなくノリでやったものが派生して定着することが多かったんですよ。
僕らも視聴者に『あそこに行ってみたい!』と思ってもらえるような番組づくりをしていたから、アルタにはおもしろい空気が充満してたよね」