「たこちゃんが飲み屋にいると、みんながおごりたくなる」
どこかとぼけた顔立ちに、前髪の真ん中だけ伸ばした坊主頭という珍妙なヘアスタイル……そのコミカルな風貌と、「たっこでーす」の決め台詞で1980年代のお茶の間の人気者だった、たこ八郎。
もともとはボクサーで、左眼がほぼ失明状態というハンディキャップを抱えたまま日本フライ級王者に輝き、そのタイトルを2度も防衛した経歴を持つ。その才気は、芸能界でもいかんなく発揮された。
1964年、24歳でボクサーを引退したその翌日に、同じ宮城県出身だった喜劇俳優の由利徹に弟子入りしたたこ。それからテレビで再び脚光を浴びるまでの数年間、たこは世間的には“消えた”存在になっていた。
外波山さんが彼と初めて会ったのはそのころだった。
「あれは歌舞伎町にあった小茶(こちゃ)という居酒屋でした。小茶にはザ・ドリフターズの映画『全員集合』シリーズを手掛けた渡辺祐介監督をはじめ、歌手など芸能関係者も多く出入りしていたね。たこちゃんは勤労感謝の日に生まれた自分ことを『全然働かない俺が、こんな日に生まれちゃって、なあ』と言っていたよ」
外波山さんもたこも、ともに小茶から歩いて数分のところに住んでいたこともあり、ふたりは毎晩のように一緒に飲み、たこは頻繁に外波山さん宅に泊まっていたという。
「たこちゃんはウイスキーの水割りが好きでね。涙もろかったり、飲んでるとすぐに寝ちゃったりするところもあったけど、酒癖が悪いとは誰も思ってなかったよ。それどころか、飲み屋にたこちゃんがいるとみんながおごってくれるもんだから、彼がお金を払うことはほぼなかったな」