こうして大阪のテレビは維新に乗っ取られた
――博士が出演していた3年間で番組はどんどん右傾化していき、大阪のテレビが維新に乗っ取られていく様子や、それに対する義憤なども同著に記されていますね。
『たかじんNOマネー』は番組内で国際問題を扱うときに反中、反韓の発言を明確に出すようになっていったし、それはヘイトスピーチをする人たちへのサブリミナル効果にもなったと思います。立ち上げから参加していたバラエティ畑の放送作家たちは抜けていき、代わりに右派論客の作家が次々と入ってきました。
――あらためて、生放送中に降板を宣言した2013年6月15日の“事件”について振り返ってもらえますか。
あの日の番組は「橋下市長が緊急生出演!徹底討論」と銘打った告知がされていました。当時は参議院選の最中で、打ち合わせの時に「政党や政治家の名前を言うのをやめてほしい」と放送作家が言ってきたんです。
でもね、そもそもこの生放送の翌日には尼崎市の市議会議員選挙があって、なのに当時、大阪市長だった橋下氏を出演させている。
「こんなのはバラエティじゃない、偏った政治番組じゃないか!」と僕はそこで芸人になって初めて打ち合わせの場で怒鳴ってしまったんです。
――番組サイドはまったく問題意識がなかったと。
はい。作家たちはまったく分かっていなくてポカンとしていましたよ。テレビなんてそんなものだと言ってしまえばそれまでですけど、僕は見て見ぬふりはできなかった。
それで番組の冒頭に橋下市長が、「小銭稼ぎのコメンテーターと違って(アンケートに回答した)有権者は冷静だった」と言ったので、最後にそのフレーズに食ってかかって、もう降ろさせてもらいますと言って、スタジオから退出しました。
――バラエティ番組の体をなしつつ、番組自体が橋下氏のプロパガンダになっていたと。
以前には平松邦夫大阪市長(当時)が事前に「番組には出られません」と言っているのに、「平松市長対橋下知事(当時)という討論を生放送でやる」と局側が一方的に発表し、あたかも本番で平松さんが敵前逃亡したように放送したこともあった。このことは当時の裏方は皆、知っていますよ。
そもそも僕は橋下氏に政治家の資質はないと思っていて。弁護士の交渉術について書いた著作の中で、「嘘をつくのは当たり前だ」とか「政治家と弁護士は嘘つきじゃないと駄目」みたいなことを平然と書いている。
映画『教育と愛国』の監督の斉加尚代さんが記者時代に橋下氏に質問をして、恫喝、罵倒されたのは有名ですが、論点のすり替えがひどい。本来、あんな人を政治家にしてはいけないんですよ。