放蕩記:遅れてやってくる就活の悲劇

もしや企業側はこうした「染まりやすさ」を評価しているのではと思いたくなるほどだが、こうした就活生の必死の努力が実ることもある。晴れて内定だ。

だが、就職のために作り上げた虚妄の志望理由など現実の前には無力である。

虚妄によって内定を得た学生は、実際に働きはじめるとすぐに「これは果たして自分が本当にやりたかったことなのか」という葛藤にさいなまれる。他人は騙せても自分を最後まで騙しとおすことは難しい。

なまじ入社難易度の高い企業に内定する頭のいい学生だからこそ、やがてはこうした矛盾に気づく。そうして入社のためにあんなに頑張った会社を、3年やそこらで簡単に辞めてしまうというわけである。

似たような例として、「とにかく年収の高い企業にいきたい」という拝金主義就活生もいる。

拝金主義就活生は、年収が高い企業を調べているうちに、典型的には外資系金融のような激務短期評価系の仕事を志望するようになる(なお、意外なことに、外資系コンサルはそこまで年収は高くない)。そして先ほどとまったく同じ顛末で、ごく少数だが内定にまで至る人もいる。

だがこうした拝金主義就活生は就職して初めて真実に気づく。

〈日本の就職活動の悲劇〉祖父母の教えと部活とゼミとインターンが統合された結果「広告を通じて環境問題を解決する」という意味不明な志望動機が生まれる謎_3

人はお金で豊かになれない(心で……という綺麗ごとではなくとも)、モノやサービスで豊かになるという真実である。

拝金主義就活生から激務短期評価金満型(金満と書いてゴールドマンと読む……わけではないので注意が必要である)ビジネスパーソンへと進化した人は、仕事が忙しすぎて消費にかける時間がなく、お世辞にも豊かとはいえない生活を送る羽目になる。

何のことはない。高年収職の時給に着目すると、他の仕事とそう大きくは変わらないのだ。

仕方がないので激務短期評価金満型の人は消費を他人に任せる。妻、2番目の妻、N番目の妻、N+1番目の妻、愛人、2番目の愛人、N……と、高校数学で必死に覚えた数学的帰納法に思いを馳せながら周囲にお金を配るしかない(その意味では激務短期評価金満型の人は周囲の人からすればそう悪い人でもないのかもしれない)。

とはいえ激務短期評価金満型の人は他人任せの消費に耐えきれなくなることもあり、ここぞとばかりに踊る方だろうが喋る方だろうがお構いなしに「クラブ」と名の付くありとあらゆる場所で、超高級シャンパンを何本も空けてみたりする。

しかし激務かつ短期評価の仕事を生き抜くために身に着けた「昭和頑張りズム的、早飯早糞早算用の癖」が抜けきれず、時間節約とばかりにシャンパン瓶ごとラッパ飲みと洒落こむわけだ。これでは味も香りも何も分かったものじゃない。

このように、たとえお金をどれだけ稼いでも消費ができなければ意味がない。

さらにはたとえ消費ができても、モノやサービスをじっくりと味わって満足を得るという時間と精神の余裕がなければ意味がない。幸福を得るための最初の制約は予算制約・お金の問題かもしれないが、この制約を超えると次に時間制約、身体制約(心身の健康の問題)が幸福への枷となる。

だから、とことん幸福を追求したいという強欲な人であっても、合理的に強欲を追求していけば、ある程度のお金を稼いだところでお金よりも時間と健康が大事になる。さらには社会貢献などの精神的満足が大事になるはずなのである。

まともな論理力があれば誰でもいずれはこの結論に至る。