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虚栄は経営でできている

高級ホテルの中ほどに併設されているカフェと動物園の中ほどに設置されているサル山は奇妙なほど似ている。

どちらも動物集団内の地位確認闘争が頻発している、という共通点があるためだ。一方は虚勢による闘争、もう一方は暴力による闘争という細かな違いがあるだけだ。

こうした動物園型・アフタヌーンティー時スイーツどか食い型高級ホテルラウンジカフェ(以下、「スイーツカフェ」と略)では虚栄心に基づく巧妙な虚勢・マウンティングの攻防がおこなわれている。

こうした虚栄合戦のほとんどは何らの目的も達せられず徒労に終わる。ここに虚栄をめぐる経営の失敗が見て取れよう。

SNSのマウンティングは上下関係が曖昧な猿の喧嘩と同義である…けれどマウンティングには敗北しかない確率論的理由とは_1
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真猿的な、あまりに真猿的な:
サル本能が生み出す虚勢合戦

まずは普段よく目にする虚勢の例をみてみる。

ある人が「最近、海外直接投資の案件を任されちゃってさ、向こうと時差があるせいで深夜の会議が多くて肌が荒れちゃってるんだよね」などと切り出す。

これは「肌が荒れた自虐」と見せかけた「海外と大きな仕事やってます自慢」だ。相手が専業主夫/婦や育休中の場合には、「○○は今も肌きれいだね。うらやましい」と付け加えるのが定石。「お前は大した仕事をしていない」というマウンティングである(私は大した仕事もしていないのに肌が荒れているのでこのマウンティングは無意味だ)。

こうした行為に対して相手も黙ってはいない。「いや子供って予測不可能だから、深夜に起こされたり病院駆け込んだり。本当、大変だよ?最近は毎日残業してたときよりも寝てないもん」と、「家庭生活充実してますマウンティング」と「肌はナチュラルに綺麗ですマウンティング」を両にらみ/両利きした返答をする。

なお先ほど登場した時差肌荒れ人は、子育て不眠人との現実世界での戦いに参加する前には、SNSという仮想世界で虚勢を張っていたりする。

たとえば「友人の○○と再会……の前に、空き時間で仕事のための現代ポートフォリオ理論を勉強。数式にふれるのは大学以来」などのコメントを、スイーツカフェのテーブルに無造作に置かれた教科書とカバンとノートの写真とともに投稿している。

この虚勢は、友人と会うときにも高級店を使う丁寧な生活アピール、高度な仕事をしているアピール、数学ができるアピールなどが複雑に絡み合っているように見えて、実はそうではない。単純に、写真のすみに写りこませた、テーブルに無造作に置いている高級ブランドカバンをアピールしているだけだ。

これらの虚勢/虚栄の目的を分析してみよう。

動物学的にみれば虚勢行動は「力関係が定まっていない間柄において、上下関係の形成を通じて摂食と生殖の優先順位を明確化する」機能を持つ。すなわち限られたエサをめぐって争い合う野生のサルの本能が、こうした機能を求めるのだ。

ここで一度立ち止まる必要がある。人間は今や原人の時代を脱した。技術の進歩のおかげで今や必要最低限を大幅に上回るエサを生産できる。さらにマッチングアプリ等の登場で繁殖行動さえお手軽になってしまったのは周知のとおりだ。

そのため本来ならば、人間にとっての虚勢の機能的役割はサルにとってのそれよりも小さくなっていくはずだ。スイーツカフェでの虚勢合戦にしても、なにも三段ケーキスタンドに所狭しとばかりに並べられたエサをより多く捕食するために、野猿がよくやるように歯をむき出しにして威嚇しあっているわけでもないだろう。

だとすれば野生感覚での虚勢はいまではほとんど意味も持たないはずであり、これを追い求めるのは愚の骨頂だと気付ける。これもひとつの経営である。

だがここで次のような反論がありうる。

それは「人間にとっては虚勢の機能的役割ではなく、情緒的役割がより重要な意味を持っている」という反論だ。すなわち自らが相手の上位に立つこと、尊敬を勝ち取ることそのものが、虚勢を張る人々にとっての満足につながるのだという意見もあるだろう。

しかしここにも落とし穴がある。

虚勢を張って相手からの尊敬を勝ち得ようとしても、虚勢自体が尊敬の土台となる友情を壊して、結果的に尊敬は得られないという陥穽・トラップだ。製品の強度を確かめるために金槌で叩いて壊してしまうようなものだ。

多くの場合、虚勢が「相手からの尊敬を得る」という目的を実現させることはない。それどころか往々にして虚勢を張った側が劣等感を抱いてしまうようになる。