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仕事は経営でできている

世の中の九割九分九厘の人は仕事をしていない。

その筆頭はもちろん私である。

正確には人間の労力や時間のほとんどは、一応「仕事」という名前がついているだけの、何のために/誰のためにあるのかよくわからない無意味な「作業」ないし「運動」で費やされている。

たとえばエクセルを開いて、閉じて、開いて、閉じてという指先ラジオ体操で今日の貴重な1日を終えた人は日本だけでも100万人以上いるだろう。

もしかしたらこうした時間の無駄に耐えられず、「こんな仕事、意味あるんですか」という禁句を発して上司に食ってかかった人もいるかもしれない。

こうした状況において、大抵の場合、上司は「規則だ」とぶっきらぼうに返事するだけだろう。というより上司だって、役員だって、取引先だって、意味不明な仕事を会社に強制してきた規制当局だって、誰も「その仕事が何のために必要なのか」も分かっていないのだからそう返答するしかない。

無意味な会議・説教・マニュアル……なぜ上司は無能なのか。知らず無意味な仕事をつくる裸の王様的「無能状態」という落とし穴_1
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J.T.C.:顧客不在の仕事は「運動」にすぎない

いつだってある日突然に「○○(不思議なことに大抵はカタカナ語かアルファベットを用いた略語)対応」が会社や社会で(会社を反対にすると社会なので似たようなものだ)一大イベントとなる。

書店には「○○対応必携」「○○実務ハンドブック」などが並びお祭り騒ぎ。経理/法務/総務/人事といった普段は控えめな部署も水を得た魚、カタカナ語を得たコンサル、とばかりに八面六臂の大活躍。そして「××社流、戦略○○」というお題目が決まり役員一同ウットリ惚れ惚れというわけだ。

そこからはもう無駄な書類のオンパレードだ。

従業員にも、出入り業者にも、お得意先にも○○対応のために無駄な時間を使わせる。そうして従業員の不満と出入り業者の不興とお得意先の怒りを買う。会社は何かを売って成立するはずだが、こう「買って」ばかりだとあっという間に傾く。本当の仕事をしていないのだから当たり前である。

本当の仕事は(消費者だけではなく、取引先や上司、社内の別部署など広義の)顧客を生み出し顧客を満足に/幸せにして、その対価として顧客が喜んで報酬を支払ってくれるようにすることだ。それができなければ、やがては組織を維持するためにかかる費用を捻出する原資がなくなる。

顧客を広い意味でとらえれば、経理/法務/総務/人事といった一見すると顧客を持たないように思われがちな部署もまた、社内の別部署や役員会などを顧客として仕事をしている。

会社で働く個々人も、目の前のお客様、上司、同僚などなど、どのような仕事でも顧客を想定できるはずである。というより、どうみても顧客がいない仕事は「エクセル開閉体操的な何か」でしかありえない。

多くの人が「仕事に行きたくない」「働いたら負け」と愚痴をこぼすのは内実としてはこの「無意味な作業」に対してであり、創造的な仕事が嫌いだという人は少数派だろう。

そうでなければ、なぜこうした人たちが休みの日にスポーツや芸術といった「創造的な仕事」に(自分でお金を払ってまで)従事するのか説明がつかない。運動音痴を長年いじられ続けてきた私などスポーツは観るのもやるのも無意味な会議以上の苦行でしかない。

だとすれば「仕事という名前がついているだけの何か」を減らし「真の意味での創造的な仕事」の割合を増やせば、驚くべきことに(しかし論理と割り算さえわかれば誰でも理解できるとおり)、「世の中に提供できる付加価値が増加しつつ仕事も楽しくなる」というパラダイス的/ご都合主義的すぎて疑いたくなるような状況が得られるわけだ。

だが現実の会社生活・社会生活においてこれに気が付かない人があまりにも多い。

だからこそ、もう終わってしまったことを責めるためだけの会議のような、無意味の極致に手を染めてしまう。

たとえばあなたが課長だとして「課に入ってきた新人が、営業先で出来の悪い提案をしてしまって顧客の信頼を失った」という場合を考えてみよう。このとき「なんでこんな低レベルな資料をお客様に見せたんだ」などと怒ったところで事態が好転することはない。

こうした状況で「緊急会議」と称して課員を集合させて、ついでに部長・局長・お局様といった上長まで呼んでみたりして、みんなで資料不出来新人を吊し上げてみたところで、あるいは部長・局長・お局様と一緒に「最近の子は、ねえ」と愚痴ったところで、そこに顧客は不在なのだから顧客の信頼が取り戻せるわけがない。

なにくそ、それなら、とばかり、あろうことか顧客の前で新人を叱る場合もある。

この場合は相手がよっぽど特殊な趣味を持った顧客でないかぎり、顧客からすればどうでもいい茶番劇に付き合わされたわけで怒りを増幅させるだけだ。顧客が必要としているのは満足できる製品・サービスの提案であって、精神追い詰めプロレス大会ではない。