「ナレーターには一つ一つの活字を生きている人間の言葉で伝える使命がある」

深夜零時に放送台本を書くという美学を持っていた堀内の原稿を、役作りのためいつもスーツ姿でやって来たという城は、夜間飛行のコックピットのようにスタジオの照明を落として収録に挑んだ。

そして“機長”としてのイメージを損ねたくないと、顔の見えるTV出演は断り続けた。美学には美学で応える。男たちの暗黙のルール。

毎回、作家と読み手の勝負でした。城さんは読みやすいように言葉を直してほしいなんて注文は、口が裂けても言わない。世界一、堀内の原稿を上手く読めるのは自分だ。そんなプライドを城さんは持っていた。

こうした1ミリたりともブレのない確固たる姿勢があったからこそ、『JET STREAM』は幅広い世代のリスナーや本物のファンを獲得できた。

27年で7387回“フライト”「機長としてのイメージを損ねたくない」と顔の見えるTV出演は断り続けたラジオ『JET STREAM』の城達也に、美学で応えた男たちのルール_3

時代は70年代から80年代へ。FMが若者たちの間で大ブームになった時も、TVが軽薄な演出で視聴率を稼ぎ出した時も、騒がしいフリートーク番組とは一線を画した不変の存在であり続けた。

ナレーターが単に活字を音声化する作業者であるなら、近い将来、それは、ロボットにとってかわられるかも知れない。おそろしいことである。しかし、ナレーターには一つ一つの活字を生きている人間の言葉で伝える使命がある。一つの一つの言葉は生きている。生きた言葉は、リスナーに様々な、生きたイメージを描かせる。しかもそれには、色がついている。肌ざわりも感じられる。さらには、匂いまでも──。今、私がめざしているのは、生きたイメージを描いて頂ける、生きた素材の語りなのだ。(城達也)

時は流れて1994年2月──。
城はある現実と直面する。食道癌が発覚したのだ。

真のプロだった彼は、点滴を打ちながら収録をこなす一方で、思い通りの声が出なくなって遂に番組降板を決意。辛い選択だったに違いない。

同年12月30日の放送が城にとっての最後の『JET STREAM』となった。27年に渡ってフライトすること7387回。

私がご案内役を務めてまいりましたジェットストリームは、
今夜でお別れでございます。
長い間、本当にありがとうございました。
またいつの日か、夢も遥かな空の旅でお会いいたしましょう。
……では皆さま、さようなら

翌年2月25日、城達也氏が他界。享年63。

城と共に降板(これも美学)した堀内は8年後、伊武雅刀が3代目機長に就任(2002年10月〜2009年3月)すると現場に復帰。大沢たかおが4代目機長を務めた時期(2009年4月〜2020年3月)は、監修の立場で番組を支えた。

27年で7387回“フライト”「機長としてのイメージを損ねたくない」と顔の見えるTV出演は断り続けたラジオ『JET STREAM』の城達也に、美学で応えた男たちのルール_4
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時代は21世紀へと移り、ネット文化やSNSが浸透した。海外旅行は憧れからいつの間にか身近なものとなり、年を重ねた渡航者にとってそれは回想するものへと変わった。

 “アームチェア・トラベラー”という言葉をご存知でしょうか。直訳すれば“安楽椅子の旅行者”。私の最も好きな外国であるイギリスで生まれた言葉です……これは現代の日本人にも当てはまる気がします……そんな時代に『JET STREAM』の聴き方も今の世に合ったものへと変化し、番組としての存在も新たな価値を帯びてきたのでは……

「自分にとってのもう一つの人生」と、作家は言う。2022年には55周年を迎えた伝説と奇跡のFM番組『JET STREAM』。二人の男たちの美学をこれからも忘れない。

文/中野充浩 写真/shutterstock


*参考・引用
『ジェットストリーム 旅の誘い詩集〜遠い地平線が消えて〜』(堀内茂男著/TOKYO FM出版)
『JET STREAM〜OVER THE NIGHT SKY 第1集』鑑賞ガイド(ユーキャン)
『“ジェットストリーム”にひとり』(城達也著/PHP研究所)
『報道ステーション』2007年1月25日放送「団塊世代に贈る」