通算1000回を機にオープニングナレーションを変更で問題が…

3年後の1970年──。
『JET STREAM』は4月27日に開局したばかりのFM東京(現TOKYO FM)という新たな“空港”から離陸を開始。

しばらくすると、9月10日の通算1000回を機にオープニングナレーションを変更する案が日本航空宣伝部から持ち上がる。

担当することになったのは、番組中の曲間に読まれる旅のナレーション原稿を書いていた劇作家/放送作家の堀内茂男。

だが、堀内は日本航空宣伝部の伊藤造酒雄氏が書いたものを素晴らしいと思っていて、なぜ変えなくてはならないのかと戸惑った。

プレッシャーを抱えながら思案する日々。一方で周囲から「変えなくてもいい」という意見も出る始末。なかなか手をつけられずにいた。下手を打てば、番組のイメージを壊しかねない仕事だった。

しかし、いよいよ1000回が目前に迫り、覚悟を決めた堀内はペンを握る。

プレッシャーに喘ぎながら、何度も書き直した末、1年以上の時を要してようやくでき上がった。素晴らしい前作の枠組みを踏襲しつつ、“きらめく星座の物語”という言葉に出逢った瞬間、自分の中で「よし、これでいける!」という確信が生まれて、あの詩が誕生した。

遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休めるとき、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく果てしない光の海を、
ゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂(しじま)の何と饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も、
瞼に浮かんでまいります。

27年で7387回“フライト”「機長としてのイメージを損ねたくない」と顔の見えるTV出演は断り続けたラジオ『JET STREAM』の城達也に、美学で応えた男たちのルール_2

ちなみに、曲の間で流れる旅のナレーション(堀内氏は「抒情飛行」と呼ぶ)にはこんなエピソードがある。

番組のスタート当初、堀内は海外に行ったことがなかった。また、番組の収録は月曜から金曜までの1週間分をまとめて行うので、毎週何篇も創作しなければならない。これは大変なクリエイティヴだ。

あらゆる情報にアンテナを張り巡らせ、各国の観光局に出向いたり、必要であれば現地にも足を運ぶ。こうした取材に明け暮れて、30分で書けることもあれば、何日も悩むこともあった。

常に外側から、いろんな情景を見ていたのかもしれない。自分がその中に入ることはせずに、一定の距離感を保っていたのかな。

距離感といえば、城と堀内は27年間で二人だけで食事をしたことは一度もなかったという。

お互いの性格、プロ意識があってのことだろう。二人の間にあるのは、紙に書かれた原稿だけ。